サッカー世界遺産では語り継ぐべきクラブや代表チーム、選手を紹介する。第36回はコパ・リベルタドーレス最多優勝を誇るアルゼンチンのインデペンディエンテを取り上げる。1970年代から80年代にかけて、偉大なる10番が君臨した。

釣り師あっての栄光

リバプールを1-0で破ってトヨタカップを制したインデペンディエンテの面々。国立競技場のロッカールームで歓喜に酔いしれた(写真◎サッカーマガジン)

 1984年の冬にクラブ世界一の座を懸け、東京・国立競技場でヨーロッパ王者リバプール(イングランド)と対戦したインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)でもそうだった。したたかな戦いぶりで、前のめりの猛者たちに肩透かしを食らわせていく。

 まるで暖簾に腕押し。それこそ『赤い悪魔』の思惑どおりに事が運ぶことになった。

 世界中の関心を集めた決戦でもある。1982年のフォークランド紛争以来、イギリスとアルゼンチンが初めてスポーツの競技力を争うイベントだったからだ。紛争の勝者はイギリスだが、トヨタカップの勝者はアルゼンチンの名門である。スコアは1-0。堅守を誇るインデペンディエンテらしい勝ち方だった。

 虎の子の1点を奪ったのは9番のホセ・ペルクダーニだ。ライン裏へ送られた縦パスを収めると、ゴールへ一直線。前に飛び出してきたGKの動きを見極め、軽やかにネットを揺らした。
敵の最終ラインを釣りだして、一気に裏返しにする手際は見事。もっとも、ラストパスの送り手はボチーニではなかった。その背後にいたマランゴーニだ。

 目の前に転がってきたボールを直接すくい上げ、ライン裏に落とす技ありの一本。中盤の守備職人も、このくらいの芸を身につけているあたりが南米勢らしい。

 ボチーニはどうだったか。

 特別な働きはしていない。平凡なミスもあれば、あっさりボールを奪われることもあった。ただ一瞬、キラリと光る。何度かオフサイドの網にからめ取られた裏を突くパスは、紙一重の差で駄作に終わった。

 だが、文句を言う者は誰もいない。ひたすら彼を守り、盛り立てていく。そうして大舞台にたどり着くことができたからだ。

 エンガンチェに対する信頼は、そう簡単に揺らいだりはしないのである。その後の歴史を振り返っても、それは明らかだろう。

 マラドーナに始まり、2000年代のフアン・ロマン・リケルメに至るまで、この国はエンガンチェの宝庫だった。それも、いまやつわものどもが夢の跡ーー。

 いや、マラドーナにも劣らない偉大な10番ならいる。リオネル・メッシが。ただ、伝統の釣り師とはどこか違って見える。むしろ、エンガンチェによって存分に生かされる人だろう。代表での不遇も、釣り師の不在が大きく響いていたように思えて仕方がない。メッシがずっと求めていたのは新しいボチーニだったか。

 あの『赤い悪魔』の伝説から、もう35年。だが、あの国の人々はいまも偉大なエンガンチェを必要としているのではないか。時代の要請とやらに抗っても――。

著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャナリストとして活躍中。youtube『蹴球メガネーズ』