サッカー世界遺産では語り継ぐべきクラブや代表チーム、選手を紹介する。第35回は速さ、強さ、激しさでピッチ上を支配し、世界に覇を唱えた革新的なチーム。1987年から90年代前半のグランデ・ミランだ。

一心同体の『フラット4』

ミランの最終ラインをコントロールしたバレージ(右から2人目)。攻めるためのボール奪取をリードした(写真◎Getty Images)

 斬新なゾーナルプレッシングを運用するミランは、たちまち進撃の巨人と化した。就任1年目、いきなりセリエAの覇権を握る。シーズンを通じて2敗のみ、失点は30試合でたった14だった。次元が違っていた。

 陣形は4-4-2だ。それも各ラインの面々をそれぞれフラットに並べる典型的なブリティッシュ(英国風)スタイルだった。そして、ピッチのほぼド真ん中に陣を構え、圧力をかけていく。そこで手際良くボールを奪うと、一気に敵のゴールへ迫った。

 また、敵陣に押し込んだ状態ではボールを失っても後退はせず、そのまま圧力をかけて即時回収を試みる。実に大胆不敵だった。ただ、最終ラインを押し上げているぶん、自陣に広大なスペースがある。プレッシングが空転すれば危機的な状況に陥りかねない。そこでサッキは保険をかけた。

 ラインコントロールだ。

 最終ラインの4人がオフサイドラインを巧みに操り、攻撃側の動きを規制している。言わば、冒険的ミランの命綱だった。なお、4人のバックスは右からマウロ・タソッティ、アレッサンドロ・コスタクルタ、フランコ・バレージ、パウロ・マルディーニというのが不動の並び。いずれも生粋のイタリア人だ。

 4人のライン操作(上下動)は精緻を極めた。ボールに圧力がかかっている状態なら一気に中盤との距離を詰めて、敵の「10番」の居場所を奪い、背後へ抜ける敵のフォワードをオフサイドトラップに絡め取った。

 当然、ボールへの圧力がかからず、ドリブルで自陣に攻め込まれるケースもある。そうした場合にも対応の手順があった。フラットラインを維持したまま自陣へ後退する。そして、エリアの手前あたりで突如停止すると、一斉に取り囲んで、ボールの持ち手を「排除」した。

「一心同体の4バックを作るために、いつも『4対10』で練習し、やがて10人の攻撃側を完璧に抑え込めるようになった」

 バレージの回想である。この人こそ、空前絶後の『フラット4』を束ねるミランの頭脳だった。エリア手前でラインを崩すや、真っ先にボール保持者に襲いかかっていたのもバレージだ。前進か、後退か。それらを抜かりなく実行するキャプテンの天賦の才が何度となくミランを救っていた。

 運用を誤れば、どんなセオリーも役には立たない。ミランの幸運は、何よりサッキの手元に必要な駒がそろっていたことだった。

戦慄の『ダッチトリオ』

 サッキの傑作はチャンピオンズカップで連覇を成し遂げたチームだろう。最初の優勝は1988-89シーズンのことだ。

 伝説の『ダッチトリオ』が結成される。マルコ・ファンバステンとルート・フリット、そして新顔のフランク・ライカールトだ。
いずれもオランダ代表の中核であり、88年に西ドイツで開催されたEUROの優勝メンバーでもあった。当代屈指の大駒がミランに集まったわけである。

 最前線のペアはファンバステンとフリット。前者は9番。それも当代きってのリアル9だ。後者は縦横無尽の10番ながら、サッキのチームでは、トップの仕事に専念している。シンプルな速攻の連続だったからだ。

攻撃に転じると、あっという間にフィニッシュまで持ち込んでいる。ボールの回収地点――つまり攻撃の始点が相手ゴールに近かったわけだ。なかでも破格の回収力を見せつけたのがセンターハーフのライカールトだった。

高さ、強さ、速さの三拍子そろった怪物である。競り合いにめっぽう強い略奪者にして、ボックス内へ鋭く走り込み、ゴールを陥れる襲撃者でもあった。ミランの電撃的な攻めはこの人の苛烈なプレッシングから始まったと言ってもいい。まさに攻守の心臓となる戦術上のキーパーソンだった。

この8番を介し、同胞でもある二門の大砲が華々しく火を吹く。それが典型的なゴールのシナリオだ。事実、中盤でボールを奪ってからパス1本でゴールという場面が数多くあった。

最終ラインとの駆け引き、あるいは1対1を制してフィニッシュに持ち込むことなど、2トップにとっては造作もない。そこに3人目のライカールトまで絡めば、もう相手は防ぎようがなかった。

逆に言えば、ミランの攻め手は少なく、個々の能力に大きく依存していた。効率良く点が取れたのも、難しいプレーをいとも簡単にやってのけるダッチトリオの存在があったからだ。

何しろ、チャンピンズカップで連覇を果たした決勝の得点者は、いずれもダッチトリオだ。ステアウア・ブカレスト(ルーマニア)を4-0で蹴散らした1988-89シーズンの決勝では、ファンバステンとフリットがそれぞれ2点をマークした。

また、懸命に食い下がるベンフィカ(ポルトガル)を振り切った1989-90シーズンの決勝では、ライカールトが虎の子の1点を奪っている。彼らの存在なくして、ミランの神話はなかった。