1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第28回は86年ワールドカップの半年後に来日したディエゴ・マラドーナ率いる南米選抜とJSL選抜の試合について綴る。

JSLにならって勝手にJ選抜を編成

82年にはボカ・ジュニアーズの一員として来日し、プレーしたマラドーナ(写真◎サッカーマガジン)

 この時のJSL選抜は、マラドーナのプレーを見せるために編成されたようなチームだったが、実はそれまでにもたびたび編成されて好評を得ていた。日本代表が対戦するには難しいスケジュールで国際試合が企画されたときに、JSLでプレーする日本代表クラスの選手に外国籍選手を加えたチームを作り、対戦させた。

 1979年夏にはすでに代表を退いていた釜本邦茂がプレーヤー兼監督を務め、ジョージ与那城、ジャイロ、ラモス(いずれも読売ク)、カルバリオ(フジタ)らのブラジル人とプレーしてオランダのFCアムステルダムに4ー2で快勝。10月にも同様のチームで、フランツ・ベッケンバウアーやヨハン・ニースケンスを擁したアメリカのコスモスと1ー1で引き分ける好ゲームを展開して、観客を喜ばせた。

 これをきっかけにJSL選抜は必要に応じてその後もたびたび編成された。興業のために付け焼刃的に誕生したチームではあったものの、当時のサッカーファンにはそれなりのインパクトとサッカーの面白さを伝えた。

 今、こんなチームをつくることは難しいだろう。ただ、もしもJリーグ選抜をつくることができたら、と想像してみたい。

 GKにはチョン・ソンリョン(川崎)かキム・ジンヒョン(C大阪)の韓国勢、ディフェンスはチアゴ・マルチンス(横浜FM)、ジェジエウ(川崎)のブラジル勢やマテイ・ヨニッチ(C大阪)あたりで固め、アンドレアス・イニエスタ(神戸)、マルコス・ジュニオール(横浜FM)、そして日本代表から離れている家長昭博(川崎F)、宇佐美貴史(G大阪)、まだ選ばれたことのない江坂任(柏)、三笘薫(川崎)らでチャンスを作り、マイケル・オルンガ(柏)、エヴェラウド(鹿島)らがゴールを決めるといったチームは魅力十分。日本代表より強いのでは?と思わせる点も、1980年代のチームと同じだろう。