1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第26回は日本サッカーの発展を加速させたカズの帰国について綴る。

上写真=90年夏の浜松合宿。当時カズは24番をうけていた(写真◎サッカーマガジン/早浪章弘)

文◎国吉好弘 写真◎サッカーマガジン

カズが持つもう一つの偉大な記録

 2020年J1リーグ第18節で、首位を走る川崎フロンターレとの試合に横浜FC所属のカズこと三浦知良がスタメンで出場し、53歳6カ月28日でのプレーというJ1最年長記録を達成した。言うまでもなく50歳を過ぎてなお現役であり続けるカズは様々な記録を更新し続けている。そのカズが現在唯一の存在であることの一つに、日本リーグ(JSL)でプレーしたことのあるJ1所属選手という記録もある。

 1965年に誕生したJSLはアマチュアの全国リーグとして存在し、93年にプロのJリーグが開設されるまで日本サッカー最高峰の戦いの場として存在してきた。JSLが終了してからすでに四半世紀が過ぎており、Jリーグが始まった時に高校卒で18歳だった選手でも40歳代半ばなのだから、JSLを経験した選手がJ1にいないのは普通なら当然のこと。それだけカズの存在は特別だ。

 日本人初のプロとして、西ドイツ(当時)でプレーした奥寺康彦が1986年に帰国し、再び日本でプレーするためにJSLはプロの参加を認め、これをきっかけにリーグとしてプロ化への動きが加速した。93年にJリーグが開幕することが決まった激動の時期に、今度はヨーロッパではなく南米はブラジルでプロとなったカズが、日本のプロサッカー誕生に合わせて帰ってくる。

 このシーズンのJSLは、9月から10月にかけて北京でのアジア大会があったこともあり、10月28日に開幕、翌91年5月までのスケジュールとなっていた。今では考えられないが、開幕戦は横浜の三ツ沢球技場で14時から日産自動車対東芝、16時からNKK(前日本鋼管)対読売クの2試合がダブルヘッダーで行われた。プロ化へ向けての期待、関心の高まり、日産、読売クという優勝を争う人気チームの試合、そして多くのスタープレーヤー、中でもカズを見たさにスタンドは満員となったが、三ッ沢でいっぱいの入場者数はわずかに1万人だった。

 16歳で高校を中退して単身ブラジルへ渡り、自らの強い決意でプロへの道を切り拓き、サッカー王国でも名門であるサントスとのプロ契約を勝ち取った。身体能力の高さや飛びぬけたスピードがあるわけではないが、正確なキックと切れのあるドリブル、何より強い向上心で自らを成長させて頭角を現した。それでもJリーグでのプレーと、日本代表としてワールドカップ出場を目指すという夢のために、1990年7月に帰国。日本でもブラジル流のサッカーを志向する読売クラブ入りする。