一大プロモーション
一瞬、夢を見ました――試合後に残した長友の言葉は、すべての日本人の思いを代弁していた。
2-0。残り25分を切った時点で、大きなアドバンテージを手にしていたのは優勝候補のベルギーではなく、日本の方だった。48分の1点目には乾と柴崎が、52分の2点目には香川と乾のペアが絡んでいた。日本のキーパーソンと見込んだ3人が、大一番でもベンチの期待に応えたわけだ。
とりわけ「日本らしさ」の傑作が原口の先制点を呼び込む柴崎の美しいスルーパスだろう。それはまるで、日本代表の歴代司令塔へ捧げるオマージュだった。
一方、名手クルトワを破った乾の無回転ショット、決め切る力は、世界のトップレベルで個の力を磨いてきた海外組らしい「脱日本」の象徴か。それは日本らしく勝つために、必要不可欠だったプラスアルファと言ってもいい。
いや、日本らしく戦っても勝てなかった。2-3。猛反撃へ転じたベルギーの底力の前に、日本の夢は砕け散った。
圧倒的な高さと速さに、凡ミスを逃がさぬしたたかさ。西野監督の言葉通り「本気のベルギー」が、そこにいた。
それでも、最後まで攻めの姿勢を貫いた日本の戦いぶりは、各国のメディアから絶賛される。それは、初めて「日本らしく負ける」ことが受け入れられた日だったかもしれない。
「しっかりパスをつなぎ、取られたら取り返す。今回、僕らの見せたサッカーが、日本の目指すものだと思う」
すべての力を出し切った長友は清々しい表情で語った。その考えに正面から異議を唱える人は少ないだろう。まさに、日本の、日本による、日本のためのサッカー。そのロールモデル(模範)に値するチームだった。
日本らしいサッカーで戦うことに、当の日本人が自信を持つことができた。それはもしかすると、ベスト8へ勝ち上がる以上の価値があったかもしれない。
しかも、西野監督以下、オールジャパンで、それをやり遂げた。2006年の夏、代表の新監督となったイビチャ・オシムが「日本サッカーを日本化する」と話してから12年。終わりなき自分探しの旅から、ようやく新たな一歩を踏み出すきっかけを手にした。
いったい、日出る国のサッカーとは、いかなるものか。その一大プロモーションを終えて、世界の知るところとなった。もはや日本人の頭の中だけに現れては消える妄想でも、願望でもない。
著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャナリストとして活躍中。