連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、かつてない輝きを放った2018年ロシア・ワールドカップの日本代表だ。可能性を示した『和魂和才』について綴る。

上写真=ロシアW杯、ラウンド16のベルギー戦。2点目を挙げた乾を仲間は祝福(写真◎Getty Images)

文◎北條 聡 写真◎Getty Images

勇気ある決断

 世界標準を追いかけて――そんなキャッチコピーじゃ、映画にもドラマにもならない。

 世界標準とは、ざっくり言えば「ふつう」という意味だ。そんなものを極めても、世界(の人々)は少しも驚かない。だが、2018夏のワールドカップでロシアに乗り込んだ「彼ら」はひと味も、ふた味も違っていた。世界標準でもなければ、スペイン風でもない。ましてや、ドイツ風でもなかった。

 それこそ古今の東西に2つとないジャパン・オリジナル。言わば「和魂和才」のフットボールが、世界を驚かせることになった。

 それは、衝撃的な「政権交代」から始まった。記者会見が行なわれたのは4月12日のことだから、開幕のわずか2カ月前である。丸3年にわたり日本代表を率いたヴァイッド・ハリルホジッチ監督を解任し、西野朗技術委員長を後任に据える発表がなされた。深刻なまでの、求心力低下――それが異例の交代劇の引き金だった。

 ハリル政権の強権的なマネジメントが選手側の信頼を損ね、体制維持を許せば空中分解しかねない。そんな見立てだったか。一方、西野政権では「民主的」な手法が採られた。個々の意見に耳を傾け、表現の自由を最大限に認める。逆に多様な意見を集約し切れず、選手側から細かな決め事を求められたほどだ。

 ただし、コンセプトは明快だった。いかに個々の特長を、日本の強みを引き出すか。就任会見の席で、西野監督はこう宣言した。

「われわれには別の手立て、日本のサッカーがある。技術、規律、組織を生かす。それがベースだ」

 前任者は日本の短所に着目し、その改善に努めた人だ。デュエル(1対1)や縦への速さの必要性を説いてきた。事実、それが当代の「世界標準」でもあった。

 だが、西野監督はそこに日本の長所を加算して列強に挑むことを企んでいた。ボールを扱う技術とパスワーク、規律の遵守と高密度の連動性――これらを上手に落とし込めば十分に勝機はある。そう考えたわけだ。

 言わば「世界標準」から「日本標準」への転換である。

 しかし、それで本当に勝てるのか。そうした疑念が渦巻くなか、西野監督は日本が積み上げてきた「資産」を信じていた。いや、信じよう――と腹をくくったと言うべきか。それが、結果的に日本を利する形となり、ひいては世界を驚かせることになる。まさしく、英断だった。

3つのピース

コロンビア戦で先制PKを決め、チームを乗せた香川(写真◎Getty Images)

 チームづくりは綱渡りだった。まず時間がない。残されたテストマッチも3つだけだ。この厳しい条件下で、「日本式」を最も高いレベルで実践するためのパズルを完成させる必要があった。つまりは、人選である。

 実際、初陣となったガーナとの壮行試合(国内最終戦)も、続くスイスとの準備試合も振るわなかった。ところが、スタメンをごっそり入れ替えた最後のパラグアイ戦で4-2の勝利を収め、にわかに光が差し込んでくる。

「すべての選手を大会前に試したかった」とは西野監督の弁だ。もっとも、その真意は控え組のガス抜き――だけではあるまい。第一、スイス戦を終えた段階では、自信を持って初戦に送り出せるチームの骨格も見えていなかった。パラグアイ戦の人選には何らかの企図、あるいは期待が込められていた、と言ってもいい。

 おそらく、試合を終えた頃には指揮官の頭の中で、理想のパズルが出来上がりつつあった。チームの命運を握る「3つのピース」を見いだしたからだ。

 香川真司、乾貴士、柴崎岳である。

「日本の特長である『中盤の優位性』を、もっと引き出したい」

 当初から西野監督はそう話してきた。その狙いにうまくはまったのが、この新しいトライアングルだった。各々の技量はもとより、互いの感性や瞬時のアイディアを共有できる。指揮官が秘かに期待していたケミストリー(相性)の面で申し分なかったわけだ。

 そこに前線の大迫勇也、最終ラインの昌子源、左サイドバックの長友佑都が絡むと、攻撃のアイディアがさらに増幅されていく好循環。それはパターンのようなデジタルの産物ではなく、きわめて生ものに近いアナログ的なものだった。

 まさしく、土壇場で掘り当てた「組み合わせの妙」と言ってもいい。どのみち早い段階で準備するのは難しかった。香川や乾が故障明けなどの理由でテストを先送りするしかなかったからだ。

 ともあれ、初戦のピッチに自信を持って送り出せるイレブンがそろったのは確かだろう。少なくとも、西野監督の頭の中では。

 しかし、周囲はまだ半信半疑だった。一見してオフェンシブと映る人選で本当に戦いを挑むのかどうか。その全貌を知るには、決戦の日(6月19日)を待たなければならなかった。