一撃必殺の「奥の手」
ピルロの役回りは、イタリアで言うところのレジスタ(司令塔)だ。中盤の深い位置に陣取って、四方にパスを散らしながら、自在に攻撃を組み立てていく。幸い、トップ下と比べて、アンカーに対する敵の圧力はそこまで強くない。ピルロの配球力を十全に生かすには、格好のポジションだったわけだ。
懸案の守備についてはピルロの右隣に「用心棒」をつけて解決を図っている。闘犬ジェンナーロ・ガットゥーゾの抜擢だ。右にガットゥーゾ、左にも守備にコミットできるセードルフがいれば、ピルロの負担もずいぶんと軽くなる。中盤を3人で構成する意味が、ここにあった。
手持ちのファンタジスタを1人残らず使い切る以上、戦術の柱にポゼッションプレーに据えるのが理にかなう。速攻主体のイタリアでは異例と言ってもいい。これもまた、アンチェロッティにとって新しい挑戦だった。
ピルロを深い位置に置く利点は本人を敵の圧力から解放するだけではない。4人のバックスが奪ったボールを即座にピルロへ預けることができる。預けてしまえば、まず取られる心配がない。ビルドアップが安定するわけだ。
しかも、ピルロの前方には複数のパスコースが用意されている。2トップ、トップ下、左右のMFに加え、パス交換の間に両サイドバックが敵陣深く攻め上がっていく。最大7つ。そこへ自在にパスを送り込めるのだ。
最大の妙味は、一発で敵の最終ラインの背後を突くロングレンジのパスにあった。自陣の深い位置から、たちどころにフィニッシュまで持ち込めるのだから、こんなにうまい話はない。
短いパスの名手ならいくらでもいるが、長いレンジのパスをこれほど正確に操るパサーは、そうはいない。このピルロの特殊能力がダイレクトに敵のゴールを陥れる「奥の手」(奇襲)をミランにもたらすことになった。
幸い、前線にも鋭く裏へ抜けるスピード豊かなアタッカーがそろっていた。巨砲シェフチェンコ、裏抜けの名手インザーギ、そして2003年夏から不動のトップ下に収まるカカーだ。
ミランはポゼッションに加え、次第にカウンターの威力を強めていくが、その裏にカカーの存在があった。広いスペースでドリブルをさせたら、まず止められない。「音速の貴公子」だった。
必ずピルロを経由するミランの攻めは、それこそポゼッションもカウンターも自由自在。1つの型に特化しない懐の深さが、こうしてつくられていった。
マキャベリズム的采配
機に臨み、変に応ずる――。そんなミランのすごみが見て取れたのはセリエAよりもむしろ、強豪ひしめくCLにおいてだった。パスワークに秀でたスペイン勢が相手なら、いかにもイタリアの強豪らしい冷徹なチームへ変貌する。相手を自陣に引きずり込み、そこから鋭いカウンターに打って出て、注文通りにゴールをかすめ取っていく。
必ずしも籠城戦に向いた人選はしていない。それでも守ると決めたら、とことん守る。それで失点を回避できてしまうのが、ミランの強みでもあった。
アタック陣もピルロも献身的に守る。いや、アンチェロッティが守らせていたと言うべきか。頭数をそろえた人海戦術は侮れない。実際、うまく機能するよう、よく訓練されてもいた。
さらに、イングランド勢を相手にすると、4-3-2-1システムで臨んでいる。そして、守りに回ると、シフトチェンジを試みるのが常だった。2シャドーの一角を担っていたセードルフが左のサイドMFに落ちて、中盤の3人が反時計回りにずれていく。右インサイドMFのガットゥーゾが外へ回り、ピルロと左インサイドMFのアンブロジーニの2人が中央に並んだ。
要するに、4-4-1-1へとシフトを変えている。ガットゥーゾとセードルフが外にフタをし、イングランド勢のサイドアタックを封じる魂胆だった。
仮に4-3-1-2システムでは、こうはいかない。トップ下のカカーを中盤に落としても、守備の強化にはつながらないからだ。しかし、セードルフなら計算できる。このあたりの深謀遠慮がいかにもイタリアの名将らしい。
やがて一大トレンドになる可変システムを先取りしていた格好だ。余談だが、アンチェロッティはのちにレアル・マドリード(スペイン)で指揮を執ったときにも、4-3-3から4-4-2へのシフト変更を試みている。
左インサイドMFのアンヘル・ディマリアが、守りに回ると大外にずれて、右ウイングのベイルが一列下がる。そして、右インサイドMFのモドリッチとアンカーのシャビ・アロンソが中央に並び、4-4-2へ。左ウイングのC・ロナウドを守備のタスクから解放しながら、中盤の守備力を維持するアイディアだった。
かゆいところに手が届くアンチェロッティの采配が、いかようにも戦える千変万化を演出していた。圧倒的な強さを誇ったわけではないが、とらえどころのない戦い方で次々と強豪を手にかけていく。マキャベリズム(権謀術数主義)の成せる業だったか。