連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人、試合を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは2000年代に、ど真ん中を進むチーム作りでフランス史上空前のリーグ7連覇を成し遂げたオリンピック・リヨンだ。

中道派のアイコン

FKの名手であり、7連覇の中心的な存在として君臨したジュニーニョ・ペルナンブカーノ(写真◎Getty Images)

 ルグエンの跡目を継いだのは、元フランス代表監督でもあるジェラール・ウリエだ。

 イングランドの名門リバプールで長く指揮を執るなど、国際的に名の通ったフランスの指導者でもある。就任後、4-4-2システムを採用したが、開幕戦で昇格組のル・マンに大苦戦。そこで従来の4-3-3へ戻すと、チームは瞬く間に機能しはじめた。

 開幕前にエシアンを失ったが、補強したチアゴが穴を埋め、前線では新たに獲得したブラジル人のフレッジが躍動。終わってみればクラブ史上最多の勝ち点84をたたき出し、フランス史上初の快挙となる5連覇へと導いた。

 翌年はM・ディアラを失ったものの、ナントから獲得したトゥラランが新しいアンカーとしてフル稼働。大きな戦力ダウンもなく、6節から首位を独走し、6連覇を成し遂げることになった。

 国内では無敵の存在だったが、3年連続でベスト8に勝ち進んでいたCLでは16強止まり。その責任を問われる形でウリエが解任されることになった。フロントが後任として目をつけたのが、ソショーを率いてフランス・カップを制したアラン・ペランだ。プロ経験のない元体育教師という変り種。規律を重んじ、しばしば選手と衝突する「悪癖」があった。

 例によって主力の流失は止まらず、アタック陣ではビルトールとマルダ、中盤ではチアゴ、最終ラインでは左サイドバックのアビダルが移籍。そのうえ、シーズン中にケガ人が続出。ベストの布陣を組めない試合が続いた。

 それでも、ペランはルグエン式の4-3-3を継続。ゴブに続いてクラブの育成組織が送り出した逸材ベンゼマがブレイクし、見事なゴールラッシュで7連覇の動力源となった。

 タイトルこそ手にしたものの、案の定、ペランと主力との確執が表面化。わずか1年で解任の憂き目に遭った。オラスが会長になってから最も短命に終わった政権とともに、最強リヨンの伝説も幕を閉じることになった。

 翌年、クロード・ピュエルが新監督に就任したが、シーズン中にシステムが二転三転。混乱を収束できず、ボルドーに王座を明け渡し、3位に終わった。そして、このシーズンを最後に守護神のクペと7連覇のすべてに関わった英雄ジュニーニョ・Pが退団。FKは間違いなくワールドクラスだったが、華やかなスターではない。いかにも中道派のリヨンにふさわしい人だった。

 ゴブやベンゼマを輩出した育成組織、マルダやエシアンら有望株の引き抜き、ジュニーニョ・Pのような玄人好みの助っ人、そして確かな腕を持つ指導者……。中間勢力の生きる術が、その黄金期に詰まっている。

 7連覇から11年間、6位以下に後退したケースは一度もない(打ち切りとなった19-20シーズンは5位と勝ち点1差の7位だが…)。うち7年は3位以内をキープしている。栄冠から遠ざかってはいるが、いまも金満クラブと伍して戦うフランスきっての強豪だ。

著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャーナリストとして活躍中。