あの頃があるから今がある――。この連載では大学時代に大きく成長し、プロ入りを果たした選手たちを取り上げる。第12回は、仮入部からスタートし、大学4年時の飛躍で夢だったプロの世界に進んだMF町田也真人だ。

千葉の中心選手に成長

 言葉どおりだった。ジェフユナイテッド千葉・斉藤和夫スカウトの目に留まり、4年生の秋に内定を勝ち取る。当時、町田は座右の銘にしていた「実力は努力」という言葉を忘れたことはなかった。

 167センチ・57キロ(当時の大学リーグ登録データ)という小柄な体に疑問符をつけるプロの関係者は多かったが、斉藤スカウトは気にする様子もなかった。テクニックは申し分なく、パスセンスもピカイチ。プロでも十分に通用すると確信したのは、ある試合がきっかけだった。天皇杯の東京都予選決勝。当時JFLだったFC町田ゼルビアの屈強なDFを手玉に取ったのだ。
 
「体格のハンディを補って余りあるものがあった。味方のタイミングに合わせて出すパスセンスは光っていたよ。也真人には小さい体でも、Jリーグでやれるんだというところを示してほしいと思った」

2012年に千葉に加入。3年目までの背番号は28番だった(写真◎J.LEAGUE)

 大きな期待をかけられた小さな技巧派アタッカーはプロ3年目で頭角を現し、徐々に存在感を増していく。17年から2年間は千葉の背番号10を背負い、名実ともにチームの中心選手に成長した。

 19年に松本山雅FCに完全移籍、今季は大分トリニータに完全移籍した。自身としては、J1でまだ2年目。トップカテゴリーに上がるのは少しばかり遅れたが、ブレイクが遅かった大学時代と同じだ。
 
 三十路を迎えても学生時代と変わらぬ童顔。子どもが生まれ、すでに父親の顔になっているが、屈託ない笑顔でボールを蹴る姿は昔と少しも変わらない。『サッカー小僧』という表現が、いまだにしっくりくる。今季は大分とともに、さらなる飛躍を誓う。

19年に松本山雅FCに完全移籍。プロ8年目にして初めてJ1で戦った(写真◎J.LEAGUE)

今季は大分に完全移籍。2月の公式戦2試合はどちらも先発出場した(写真◎J.LEAGUE)

まちだ・やまと◎1989年12月19日生まれ、埼玉県出身。埼玉栄高から専修大に進み、大学4年時に関東大学1部リーグのアシスト王を獲得。同リーグとインカレの初優勝に貢献した。12年に千葉に加入し、18年まで7年間在籍。19年は当時J1の松本山雅、20年は大分トリニータでプレーする。166cm、59kg

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