上写真=専修大で10番を背負って活躍、プロ入りを果たした町田(写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)
文◎杉園昌之 写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子、J.LEAGUE
プロの夢を捨て切れず
ぶかぶかのユニフォームをなびかせ、華奢な体で屈強な相手たちを翻ろうしていた。抜群のタイミングでスルーパスを通し、鮮やかにゴールを演出。専修大の10番を背負った町田也真人には、今と変わらず華があった。
大学3年時は関東大学2部リーグでプレーしていたが、大学4年目でいきなりブレイク。『無印』の司令塔は関東大学1部に復帰したこの年、アシスト王に輝き、初優勝に貢献した。その勢いのままインカレでも初制覇の立役者となり、ベストFW賞まで受賞している。まさに遅れてきたシンデレラボーイだった。
「驚き尽くしの大学4年目でしたよ。想像もできなかったです」
本人は笑いながら自らの大学生活を振り返っていたが、それもそのはず。専修大にはスポーツ推薦で入学したわけではない。サッカー部にも当初は仮入部で入り、源平貴久監督に実力を認めてもらって、何とか本入部を許されたのだ。
「サッカー部に入るのも大変でした」
苦労は入部後もしばらく続く。1年生のときには3回も右肩を脱臼。メスまで入れて、約1年間も棒に振ってしまった。それでも、2年生のときに3軍から1軍に抜てきされてチャンスをつかむと、一気に飛躍する。レギュラーに定着し、大学サッカーの水にも慣れてきた。
同年、チームは2部降格となったものの、1年で1部に復帰。山あり谷ありの大学生活は、最終学年で集大成を迎えることになる。一時期はプロをあきらめかけたものの、幼い頃からの夢を捨て切れなかった。
「就職活動もしましたが、やっぱりサッカーしかないと思ったんです。もう、なるようにしかならないって。結果はあとからついてくると思いました」