連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人、試合を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、1989年にトヨタカップで最強ACミランを互角の戦いを演じた南米の刺客、ナシオナル・メデジンだ。彼らのスモールフットボールは鮮烈だった。

密集上等のパスワーク

ミランのライカールトと争うレオネル・アルバレス(左/写真◎サッカーマガジン)

 メデジンで際立つのは、各選手の尖ったキャラ(個性)ばかりではない。勝つための戦法も、実にユニークなものだった。味方同士が球の周辺に群がり、狭いスペースの中で数的優位を生かしながらパスをつないでいく。どこまでも南米らしい『スモールフットボール』だ。

 密集地帯におけるパスの出し入れもお手のもの。左足で止めたら右足で蹴り、右足で止めたら左足で蹴る。動きにムダがない。ツボにはまれば、実に鮮やかなワンタッチパスの連続だ。それも選手同士の距離が近いからこそできる芸当だろう。

 マツラナが「ああせい、こうせい」と細かく指示したわけではない。まさしく個人の自由を尊重した結果、そうなるわけだ。選手たちは「これでもか」というくらいに球をつなぐパスゲームに喜びを見いだしていた。それこそ「コロンビア人の、コロンビア人による、コロンビア人のためのサッカー」だった。

 ピンボールのようなパスワークの軸がガルシアだ。相手に寄せられても泰然自若。ミスを犯し、球を失うことは滅多になかった。バルデラマほど癖がなく、刺客に狙われにくい。相棒ファハルドと壁パスを繰り返しながら、楽々と包囲網をすり抜けていった。

 また「後ろ」の選手たちもパスに自信を持っており、最終ラインとアルバレスから次々と縦パスが入る。だから、受け手(アタック陣)の側にストレスがない。ギャップで球をもらうアタック陣の「間受け」も見事なものだ。味方のパスを引き出すタイミングとポジショニング(距離と角度)が絶妙だった。どう転んでもパスが回るというわけだ。

 肝心の最終ラインを攻略する手立ては主に2つ。一発で裏を突くスルーパスとワンツー(壁パス)だ。クロスは極めて少ない。面白いのは2トップだ。前線でペアを組む右のウスリアガと左のトレジェスは、どちらも外に大きく開いたウイングである。

 いや、ストライカーと言うべきか。外からライン裏へ斜めに走り込み、スルーパスを引き出して、点を取るのが上手かった。センターバックの視界の外から裏に抜け出されては相手も守りにくい。加えて、中央から出されるスルーパスの角度も広いのだ。

 実際、マツラナはウイング系のFWを好んで使っている。代表なら、イグアランやアスプリージャもそうだ。このあたりの用兵術も実に個性的。ともあれ、この変則2トップは、決め手のスルーパスを通りやすくする格好の呼び水だった。

未来を先取る守護神

個性派キーパー、レネ・イギータ。メデジンの最後尾で異彩を放っていた(写真◎サッカーマガジン)

 マツラナは攻撃面で個人の自由を尊重しながら、その自由を担保する枠組みを整えている。それが組織力に富んだ守備だ。狭いスペースに味方が密集するぶん、別の場所に大きなスペースが生じやすい。そこでマツラナは「癖」を逆手に取って、効率よく守る戦法を植えつけた。

 球を失った瞬間、素早く守備に切り替え、相手に圧力をかけていく。最初からボールをロストした周辺に味方が集まっているから、球の争奪には有利だ。広いスペースへ逃がされてしまう前に球を回収できれば、体力的なロスも少ない。ムダなく守れるわけである。

 実際、メデジンの面々は守備に転じたときに、敵を捕まえるのが速かった。こうしてカバーが効かないスペースを事実上の「デッドゾーン」に変えている。そもそも狭いスペースに相手を閉じ込めた方が守りやすい。そこで4人のバックスは絶えずラインを押し上げて、コンパクトな状態を維持していた。

 逆に言えば、浅いラインの裏には常にスペースが広がっている。マツラナは、そこを狙われたときの解決策を2つ用意していた。1つがオフサイドトラップで、もう1つが「隠れスイーパー」の活用である。最終ラインの背後を広くカバーするイギータだ。

 ド派手なスコーピオンキックでスタンドを沸かせる異端のGKは明らかに未来を先取りしていた。ボックス内から盛んに飛び出してカバーに回り、パスをさばいて、時にはドリブルしながら敵をかわすことさえあった。

「11人目のフィールド選手」と呼んでも差し支えない。遊び心満載のプレーぶりに良識派は眉を潜めたが、マツラナは寛容だった。ここにも「自由」を尊重する方針が貫かれていた。

 当時のヨーロッパはまだ保守的で、イギータが現れる余地はほとんどなかった。スイーパー兼任のGKを容認する土壌があったのはオランダくらいだろう。

 それがいまでは、大国ドイツにノイアーが現れている。マツラナがつまらぬ「常識」に囚われていたら、この革新的なチームは生まれていなかった。