連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、1992年、93年に頂点に立ったクラブ、サンパウロFCだ。個ありきの「ブラジル化」を果たした最強チームについて綴る。

アンバランスのバランス

92年のチームの中心選手だった、ライー(写真◎BBM)

 最強サンパウロは、間違いなくライーを中心に設計されていた。しかし、彼だけが特別に扱われていたわけではない。

 まず、2トップのポジションが独特だ。快足で鳴らすミューレルはほぼ左サイドに張り、技巧派のパウリーニョも2列目中央で浮いている。最前線に顔を出す機会はむしろ、ライーの方が多い。

 現代風に言えば、ゼロトップに近いが、ミューレルは左サイドの最前線にいる時間が長い。あえて言えば「左肩上がり」の1トップである。

 逆に右サイドの最前線は空いている。頃合いを見て、そこに走り込むのがカフーだ。バルセロナ戦では右サイドMFとして先発し、持ち前の走力と運動量で縦に長いゾーンをカバーしていた。

 4-4-2とは名ばかりの左右非対称のシステム。ポジションがほぼ固定されているのはドイスボランチと4人のバックスだけ。4-2-3-1のようにも見えるが、そんなものは考えるだけムダという気もしてくる。

 このファジーな感じが、いかにもブラジルらしい。1970年のメキシコ・ワールドカップで三度目の優勝を果たしたセレソンも、サンパウロとよく似た左右非対称のシステムを擁していた。

 右サイドのジャイルジーニョが最前線に張って、中央のペレとトスタンはトップと2列目を交互に行き来する。そして、左サイドの前方に大きく空いたスペースに、2列目(ワーキング・ウイング)のリベリーノが攻め上がった。

 こちらは「右肩上がり」の1トップというだけで、全体のファンクションはサンパウロのそれと、驚くほど似ている。第2ボランチの「8番」が、司令塔の役回りを担っているのも同じだ。

 各々が既存の枠組みにきちんと収まるかどうかは関係ない。重要なのは、チームとして機能するかどうか。うまく回るなら、個々のポジショニングに「バラツキ」があってもいい。アンバランスゆえのバランスもあるわけだ。

 個々の「表現の自由」が最大限に保障されたサンパウロにアートの香りが漂うのも当然だったか。ブラジルらしい、多様な個性を認めるリベラルの血が、サンターナのチームに脈打っていた。

新しいオーダーメイド

左サイドで異彩を放ったミューレル。92年のバルサ戦はライーの得点をアシスト、翌年のミラン戦は決勝点を挙げた(写真◎BBM)

 見事にカスタマイズされた最強サンパウロには、オーダーメイド(特注品)ならではの難しさもあった。代えが効かないことだ。

 人が変われば、全体のファンクションも微妙に変わってしまう。それがチームの中軸を担う選手なら、なおさらだろう。

 もっとも、その筋の専門家であるサンターナには何の痛痒も与えない。世界の頂点を極めた翌年、ライーをフランスのパリ・サンジェルマンに引き抜かれたが、全く新しい魅力を備えたチームをつくり上げている。

 ライーに代わる「新10番」は、やがて鹿島に加わる、あのレオナルドだ。同じ創造者でも、ライーほどクセのあるタイプではない。ポジションも、左サイドの2列目にほぼ固定されていた。

 ライーに近いトップ下よりも、こちらの方が持ち味を十全に引き出せるという判断だろう。事実、そうだった。いかにもサンターナらしい、人の生かし方だ。

 左サイドへ流れる動きを好んでいたミューレルも、レオナルドの登場でエリア近辺に留まる機会が増えた。2人の表現の自由がぶつかる左サイドの最前線を「空白」にしたわけだ。ベンチも選手も、「公共の福祉」の何たるかを、よく知っている。
 サンパウロの新しいシステムは現代風の4-4-2(または4-2-3-1)に近いが、結果的にそうなっただけだ。決して、左右対称という、見た目のバランスを優先したわけではない。

 1993年、再び南米王者として臨んだトヨタカップで、今度はイタリアの強豪ミランを破ることになる。3-2。名手フランコ・バレージを擁するミランの、鉄のディフェンス組織を三度にわたって攻略してみせた。

 ライーを失っても、この強さ。それも、パッチワークの天才たるサンターナの卓抜した手腕の成せる業だったか。