連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、2006年のワールドカップを制したイタリア代表だ。その戦いぶりは千変万化。『智将のアズーリ解体新書』のごときチームだった。

最先端の総力戦

逆境の中でイタリアを頂点に導いたリッピ監督(写真◎Getty Images)

 決勝は7月9日、ドイツの首都ベルリンのオリンピア・シュタディオンでフランスと雌雄を決することになった。

 開始7分、マテラッツィがいきなりPKを献上。これをジネディーヌ・ジダンに決められ、今大会初めて先制点を奪われた。
 だが、イタリアはすかさず同点に追いつく。19分、ピルロのCKからマテラッツィが豪快にヘッドで押し込み、1-1。ここから、100分に及ぶ一進一退の攻防が続くことになった。

 その間、リッピはあの手この手を使って、流れをたぐり寄せる。システムもスタートの4-4-1-1から4-2-3-1を経て、4-3-3へ。最終的にアンカーに落ち着いたピルロの巧みな配球がフランスを苦しめた。

 だが、この日のメインキャストは開始早々、得失点に絡んだマテラッツィだ。1-1のまま延長に突入した110分、ジダンにトラッシュトークを浴びせ、報復行為(頭突き)を引き出した。

 計算づくの挑発にまんまと乗せられた巨星は、これで一発退場。10人で戦うフランスは、PK戦に持ち込むのがやっとだった。
 運命のPK戦、フランスが2人目のダビド・トレゼゲが外したのに対し、イタリアは全員が成功。3大会連続でPK戦の末に敗退してきた不吉なジンクスを、大一番で払拭してみせた。

 フランスのかつての英雄であるミシェル・プラティニは、祖国の敗退を見届けると、今大会を次のように振り返った。

「監督のワールドカップだ。戦術のワールドカップと言い換えてもいい。ベンチの采配が、試合結果に大きな影響を及ぼしていた」

 葉巻をくわえ、黄金のカップを掲げた白髪の戦術家こそ、今大会の主役というわけだ。1982年スペイン大会で優勝をもたらしたイタリアの英雄パオロ・ロッシもリッピの手柄と称える。

「対戦相手や状況に応じて、巧みにチームを変えていた。その仕事ぶりは見事なものだった」

 今大会、ピッチに立っていないのは控えGKのみ。捨て駒が一つもないリッピ采配は、どんな状況もしのげる適応力に加え、チームの結束を深めてもいた。

「チームの役に立てるなら、何でもやろうと思っていた」

 今大会、控えに回っていたアレッサンドロ・デルピエロが言う。天才をもジョーカーとして使えるリッピの手腕が、異例の総力戦を可能にしていた。

 準決勝の延長戦で攻めに転じた際の4-2-4を含め、使いこなしたシステムは実に6つ。籠城戦から総攻撃まで、戦術オプションは多彩を極めた。

 ネスタが負傷しても、トッティが不調でも、点取り屋が空砲でもベンチには打つ手がある。特定のスターに依存しない懐の深さが、アズーリに史上四度目の栄冠をもたらすことになった。

 ジダンの魔力が最後に暗転したフランスと鮮やかなコントラストを描いた幕切れ。それは、名将の手がけた「チームこそスター」という、21世紀の傑作を称えるのにふさわしいものだった。

ジダンとマテラッツィの攻防(写真◎Getty Images)

決勝でPK戦を制した瞬間のアズーリの面々(写真◎Getty Images)

歓喜に酔いしれるイタリアの選手とスタッフ(写真◎Getty Images)