たった独りの魔術師
ファイナルの舞台は、アメリカ西海岸のロサンゼルス。7月17日のことだ。西のワールドカップを戦い続けたブラジルには、言わば「地の利」があった。
相手は奇しくも1970年大会と同じイタリア。当時は4-1と快勝したが、今回は0-0のままスコアが動かず、史上初のPK戦の末に栄冠へたどり着いた。
「78年以来、最低のブラジル」
イギリスの著名なジャーナリストであるブライアン・グランビルは容赦なかった。いかに勝つか。結果は無論、内容まで問われるのが王国の王国たるゆえん。勝てば官軍とはいかないわけだ。
いったい、伝統のフチボウ・アルチ(芸術的なサッカー)はどこへ消えたのか? そうした不満のはけ口はたった一つ。ほかでもない、ロマーリオの魔法である。
決勝トーナメント以降、不調のライーが控えに回り、セレソンは「10番」を失った。左右のMFを担うジーニョとマジーニョは脇役の域を出ない。2トップの一角に入るベベットも、そうだ。
ひとりロマーリオだけが、虚実の境を行き来する別世界の住人たりえた。7試合で5ゴール。確実に獲物を仕留める破格の決定力に加えて、巧みに味方を生かす才覚も申し分なかった。
絶妙のラストパスでベベットの決勝点を導いたアメリカ戦のアシストは見事の一語。意外性に富むオランダ戦の2つの「アシスト」もまた、ただの点取り屋で終わらぬ偉才を物語るものだった。
セレソンの秩序が大きな意味を持つことになったのも、ひとり敵をカオスに巻き込む魔術師の存在があったからだ。こうして、悩めるセレソンは、歴史の新たなページをめくることになった。
ファイナルを終えて、カメラのフラッシュを浴びるロマーリオ。しかも、誇らしげにブラジル国旗を掲げながら――。
著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャナリストとして活躍中