欧州3カ国での華々しいキャリア
また会見では、鳥栖や日本についてのことだけではなく、ヨーロッパでのキャリアについても触れた。
「アトレティコは私の人生です」と語るほどの存在である、アトレティコ・マドリード(スペイン)でキャリアをスタートさせた。歴史を持つ名門クラブであり、今ではレアル・マドリードやバルセロナと肩を並べるヨーロッパでも有数の強豪クラブだが、トーレスがトップチームでプレーし始めた当時はセグンダ(2部リーグ)で戦っていた。ただ、そこからチームをプリメーラ(1部リーグ)昇格へと導き、自身も成長して世界屈指のストライカーへの階段を駆け上がった。
そんなときに、イングランドの強豪リバプールへと電撃移籍する。「最初にアトレティコを離れるときは、チームに留まりたい思いもあったのでとても難しい決断でした。ただ、私とクラブにとって最善だと思いました」と、当時を振り返る。リバプールに在籍した4年間でタイトルは取れなかったものの、海外初挑戦となった加入1シーズン目からキャリア最高の24得点を挙げるなど、ストライカーとしての能力を発揮した。偉大なキャプテンとの出会いも、トーレスにとって特別なものとなった。
「一緒にプレーした選手でベストプレーヤーなのは、スティーブン・ジェラード(元イングランド代表MF)です。一緒にプレーすることで、私のレベルを次の次元にまで引き上げてくれました。彼と過ごした3年間はとても素晴らしく、今でもあの頃に戻りたいと思うほどです」
2010-11シーズンの途中には、同じイングランドのチェルシーへ。「対戦相手として強烈だった」と話すジョン・テリー(元イングランド代表DF)と同僚になり、加入2シーズン目に欧州チャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた。12年にはヨーロッパ王者の一員としてクラブ・ワールドカップにも出場し、このときすでに日本のピッチに立っている(チームは南米王者コリンチャンスに決勝で敗れて準優勝)。
その後、14年にローン移籍したミラン(イタリア)で、セリエAの戦いも経験した。第4節エンポリ戦(△2-2)で加入後初得点を記録。その試合では当時ロッソネロ(ミランの愛称)の10番を背負っていた本田圭佑(現メルボルン・ビクトリー=オーストラリア)と、ゴールで競演した。ただ、このミラン移籍については「あまり(移籍の)タイミングが良くなかった」と話している。
ミラン加入からわずか半年後には、古巣のアトレティコ・マドリードに帰還。「運がよく戻ることとなった。キャリアを始めたクラブだから、思い入れがある」と、特別なクラブへの、特別な思いを口にする。それから17-18シーズンを最後にヨーロッパから去るまで、再び赤と白のユニフォームに身を包んで、ピッチ上で輝きを放った。リーグ最終節後に本拠地ワンダ・メトロポリターノで行なわれた壮大なセレモニーが、クラブにおけるトーレスの存在価値を物語っていただろう。
引退会見の檀上に立てられたパネルには、トーレスがプレーしてきた5チームでの活躍の様子が掲出されていた。アンフィールドで雄叫びを上げる瞬間、“ビッグイヤー”(欧州チャンピオンズリーグ優勝トロフィー)にキスをする瞬間、尊敬するキコ(元スペイン代表FW・アトレティコなどでプレー)のポーズに倣ったゴールパフォーマンス――。
「SNSで引退を発表したとき、世界中のサッカー関係者からの反応を見て、自分自身をとても誇らしく思いました。サッカー選手はトロフィーを獲得するために生きていると言っても過言ではありませんが、チームメイトや対戦相手、かつての憧れの選手、さらにこれまでに会ったことがない選手にも『ありがとう』と言われて、サッカーに、特にスペインサッカーに恩返しできたのだと感じました。私は17歳でプロ選手になり、世界有数のクラブでプレーし、数々のタイトルを獲得しました。でも、みんなからの尊敬を得られたことが、私にとっては最大のトロフィーです」