2月3日、契約満了となり、昨季限りでカマタマーレ讃岐を退団していた荒堀謙次が引退を発表した。同志社大卒業後、横浜FC、栃木SC、湘南ベルマーレ、モンテディオ山形を経て、2018年から讃岐でプレーしていた。

上写真=昨季は讃岐でJ3リーグの19試合に出場していた(写真◎J.LEAGUE)

語り切れない喜怒哀楽を感じられた

 野洲高校時代は、乾貴士(エイバル)らとともに全国サッカー選手権で優勝。同志社大を経て、2011年に横浜FCでプロのキャリアをスタートさせた。その後、栃木、湘南、山形と渡り歩き、2018年からは讃岐に所属。右利きながら両サイドを担い、主にサイドバック(SB)やサイドハーフとして活躍してきた。昨季も、19試合に出場。うち左SBで11試合、右SBで5試合、先発を果たしていた。

「2019シーズンをもって引退することを決めました。これまでサッカーを続けてこられたのも周りからの多くの支えがあったからこそです。たくさんの方々と出会い、色々な考えを知り学ぶことができました。思い返せば小さなことから大きな出来事まで、語りきれないぐらいの喜怒哀楽を感じることができ、充実した時間を過ごすことができました。
 そんなプロ生活を離れてしまうのはとても寂しいですが、これまでの全てが僕にとっての大きな経験となり財産です。そしてこの決断に至るまで最後の最後まで悩み、たくさんの方々に助けられました。僕に関わるすべての方に感謝します、ありがとうございました。
 今後は地元・滋賀県でスクールコーチをします。これまでの経験を活かして滋賀県とサッカーへ貢献していきたいと考えています。そしてさらに自身を成長させていけるように努力していきたいと思います。これからも皆さんとサッカーを通して関われる事を楽しみにしています」

 大卒ルーキーとして躍動した横浜FC時代、苦悩の中にあった2015年の栃木での奮闘、そしてJ2昇格を目指して戦った昨季の讃岐でのプレー。荒堀謙次というフットボーラーは常に全力を尽くしてきた。そして今、9年間でプロ選手生活を終えて、次なるステージに向かうことを決意した。

 クラブに寄せたコメントは、こう締めくくられている。

「最後になりますが横浜FC、栃木SC、湘南ベルマーレ、モンテディオ山形、カマタマーレ讃岐のファン・サポーターの皆様、いつも応援して下さり、ありがとうございました」


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