いち早く内定を出したレノファ山口には先見の明があった。今季、関東大学1部リーグに昇格してきた慶応大をけん引する橋本健人の存在感は試合を重ねるごとに大きくなっている。1年前から無名の小さなレフティーを評価していた人がどれだけいたのだろうか。

上写真=山口に加入が内定している慶応大4年生の橋本健人(写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

座右の銘は「あえて二兎を追う」

 J2の山口からリリースが出たのは、もう1年以上も前の話だ。2022年度の加入内定発表は、関東大学リーグの誰よりも早かった。当時、2部リーグの慶応大でプレーする橋本健人を知る者は限られていた。

 過去に年代別日本代表の経験もなく、全国的には無名に近い。高校時代は横浜FCユースに在籍。3年生の春にトップ昇格の可能性を伝えられたものの、そこからチームで思うような結果を残せなかった。さらには、その夏にケガまで負ってしまう。結局、昇格は見送られることになった。

「プロに行きたい気持ちはありましたが、大学への進学希望も持っていたんです。学びたいことがあったので」

 慶応大を目指したのも、本気で勉学とサッカーに打ち込むためだ。座右の銘は「あえて二兎を追う」。総合政策部に通い始めてからも意欲的に勉強に励んだ。もともと興味のあった体の動かし方や経営学などを学び、充実した学生生活を過ごしている。そして、いま最も力を入れているのは、感覚を言葉にしていくこと。卒業論文のテーマは、『自己身体感覚の探求』。

「人はそれぞれ自分特有の感覚を持っています。例えば、元オランダ代表のロビン・ファンペルシーは、ゴールからボール2個分左に外して蹴っていたようです。これが自分ならではの感覚。それを言葉に出すことで、自分の感覚を見つけることができます。自分を客観的に見ることが大事です」

 勉学での取り組みは、すべてサッカーにもつながってきた。クラブ育ちの橋本にとって、体育会の部活動からも大きな刺激を受けた。

「周囲に支えられて、サッカーをしていることをあらためて実感できました。誰かのために戦うと、強くなりますね。ユース時代は自分のため、自分がプロになるために戦っていました。でも、いまは違います。慶応は約150人の大所帯。プロを目指さない人もいますし、試合メンバーのためにサポートに回る仲間もいます。そんななかで、自分のためだけに戦うわけにはいきませんよね」

 そして、心技体ともに成長した。3年生になったばかり頃には、仮契約を結んでいた。すんなり出した答えではない。レノファ山口からのオファーを前に熟考した。

「まだ2年間もあるなか、ここで挑戦するのか、しないのかを考えました」

 昨年5月に結論を出したのは、早く安心したかったからではない。内定が出れば、特別指定選手として、在学しながらJリーグの公式戦に出場できるのだ。チャレンジしたいがゆえの選択である。

「欲張って(特別指定選手となり)より高いレベルのJリーグでも学びたいと思いました。僕がここから成長していくためには、その経験が必要だと思ったんです」

 20歳で下した判断は、間違っていなかった。昨季はJ2で10試合に出場。貴重な経験を積んで、ひと皮むけた。他クラブのスカウトたちも目を丸くするほどだ。

「昨季は関東2部でしたし、あまり印象になかったのですが、今季は違いますね。サイドで違いをつくれる選手になっています」

 本人も確かな手応えを得ている。

「昨年、J2で試合に出たからこそ、いま(関東1部)の活躍があると思っています。大きな財産になっています。武器の生かし方も分かりました。プロで通用するところも、通用しないところもはっきりと見えました」

 スピードあふれるドリブル突破、得意の左足から繰り出すクロスはJ2の舞台でも光った。一方、球際の争いでは非力な一面をのぞかせたが、フィジカルの向上は課題として取り組んでいるところ。大学サッカーの残りは、まだ半年近くある。ダイヤの原石は、磨けば磨くほど輝きが増していく。

「世界で活躍できる左サイドバックになりたい」

 右肩上がりで成長する慶応ボーイは、夢を大きく膨らませている。

取材◎杉園昌之 写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子、J.LEAGUE


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