1月22日、昨季までヴァンフォーレ甲府でプレーしていた小椋祥平が現役引退を発表した。水戸ホーリーホック、横浜F・マリノス、ガンバ大阪、モンテディオ山形で活躍し、2017年から甲府に所属していた。

上写真=16年間の現役生活に終止符を打った小椋祥平(写真◎J.LEAGUE)

マムシを全うした男

 マムシと呼ばれた男が、スパイクを脱ぐことになった。2004年に水戸でプロキャリアをスタートさせ、昨年まで16年間にわたって、Jリーグで戦ってきた。J1通算では190試合に出場し、3得点。J2では172試合に出場し、6得点。G大阪時代にはG大阪U-23でもプレーし、J3でも14試合に出場している(無得点)。

 昨シーズンも41試合に出場。まだまだやれると思われたが、小椋は決断した。

「皆様、報告が遅くなりすみません。また16年間、応援ありがとうございました。水戸ホーリーホック、横浜F・マリノス、ガンバ大阪、モンテディオ山形、ヴァンフォーレ甲府の選手、スタッフ、関係者の皆様、本当にありがとうございました。
 小学校、中学校、高校と指導してくださった先生、監督、コーチの皆様、ありがとうございました。現役中にスパイク等のサポートをして頂いたNIKE様、GAVIC様、ありがとうございました。
 そして、在籍したすべてのクラブのファン、サポーターの皆様、熱い応援ありがとうございました。
 皆様の応援が、とてつもなく自分の力となり、助けられ、辛いときにどれほど救われたか知れません。
 皆様のおかげで16年間もプロサッカー選手として頑張れました。
 これからの人生は、今までお世話になった地域、チーム、そして、私を支えてくださった方々に、少しずつでも恩返ししていきたいと思っています。今後のことにつきましては、私のInstagram、Facebook等で随時発信していきたいと思っていますので、引き続き小椋祥平をよろしくお願いします。本当に16年間ありがとうございました!」

 プロ1年目、水戸でキャリアを始めたときだ。2004年9月26日の川崎フロンターレ戦。相手のエースだったジュニーニョにしつこく食らいつき、攻撃を何度も封じ、チームのために全身全霊で戦った。その献身的かつ諦めないプレースタイルから『マムシ』と呼ばれるようになった。

 Jリーグの歴史を振り返っても、名前とは別の、プレースタイルに由来するニックネームを与えられていた選手は数えるほどだ。

 本人がクラブの公式HPに寄せた言葉にある通り、今後については自らのSNSで発信していくとのこと。きっと第二の人生もピッチ上のプレーそのままに、誰よりも汗をかき、仲間のために力を尽くすことだろう。

画像: 2004年9月26日の川崎フロンターレ戦。ジュニーニョとの攻防は語り草(写真◎J.LEAGUE)

2004年9月26日の川崎フロンターレ戦。ジュニーニョとの攻防は語り草(写真◎J.LEAGUE)


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