自然体の挑戦だ。6月14日、酒井宏樹の浦和レッズ新加入記者会見がオンラインで開催された。フランスの名門、オリンピック・マルセイユでの挑戦を終えて母国に戻ってきたいま、その言葉から垣間見えるのは「柔軟性」だ。

上写真=ヨーロッパでの9年間のプレーを終えて、新たな冒険の地に選んだのが日本。酒井宏樹が「強い覚悟と責任感で臨んでいきたい」と意気込む(写真提供◎浦和レッズ)

「右側、と思ってくれれば」

 日本代表として2度のワールドカップに出場し、現在はU-24日本代表の活動にオーバーエイジとして参加して東京オリンピックを控える身。2012年夏からドイツのハノーファーでヨーロッパでの礎を築き、16年夏に加わったフランスのオリンピック・マルセイユで堂々たる活躍を見せてきた。酒井宏樹は、その申し分ないキャリアの続きを日本で、浦和レッズで迎えることを決意した。

 今回の決断は「ほとんどの人に反対されました」と笑う。だが「ここまでずっと自分で決めて成功してきているので、今回も成功するという強い気持ちで決めました」と言葉に力を込める。「それはプレーで証明するしかないと思います」と軽い気持ちで帰国を決めたわけではないことを強調する。

 マルセイユでは「絶対的な存在ではなくなった」ことを退団の理由に挙げたが、ホルヘ・サンパオリ監督にはもう1年、一緒に戦おうと引き止められたという。「調子に乗っているわけではないですが、探せばもちろん(獲得してくれるクラブは)出てきたと思いますし、やれる自信もある」という状況にもある中で、「自分に緊張感を与えるのは逆に日本でやる方があるので、楽しみな部分があった」という判断だった。

 マルセイユをヨーロッパでの最後のクラブにすることは、以前から決めていたのだと明かす。次のステップを視野に入れたとき、どうすれば毎日が充実するか、という基準があったという。

「ワールドカップに2大会で選んでもらったことは誇りですが、プライオリティーはクラブが一番です。クラブでのモチベーションが一番大事で、それがなければ毎日がつまらないものになるので、そこに重きを置いていました」

 自分の心の基準に照らしたときに、「やってみたい、行ってみたいのが日本」と道が見えた。

「ヨーロッパで培ったものが何をもたらしてくれるのか楽しみです。ドイツからフランスに行ったときも違いましたし、チャンピオンズリーグでほかの国のチームと戦ったときも違いました。だから、日本でもまた違うと思います。そこにアダプト(適応)して経験を生かすのは楽しみな挑戦です」

 果たして酒井は浦和に何をもたらすのか。それは「これから探していきたい」と自分に期待している。ただ、右サイドバックとして豪快な攻撃参加や強度の高いハードディフェンスという、これまでの一般的なスタイルにだけ固執するようなことは考えていないようだ。

「求められているのはピッチ内外のすべてだと思いますし、臨機応変にそのときそのときで変わってくると思うんです。できることをマックスでやることが大事です」

 柔軟性、がキーワードになりそうだ。キャリアで積み上げてきたものを大切にしながらも、「プライドを捨ててゼロからやっていきたい」という思考。

「いまの浦和は一人が一つのポジションをやるわけではないので、いろいろな役割が求められます。試合で変えられるようなプレーをしたい」

 ピッチの上でもまた、柔軟に。酒井はそのことを、独創的な言葉で表現した。

「いまは11人がいろいろなポジションを試合中にどんどんこなしていくので、右側、と思ってくれればいいと思います」

 ピッチの右の方にいて、どんなことでもこなします、という柔らかな意思表示である。


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