2021年のJリーグがいよいよ今週、開幕する。サッカーマガジンWEBも参加する「DAZN Jリーグ推進委員会」では、各クラブの注目選手にインタビューを実施。ベガルタ仙台からは地元出身のヒーロー候補、佐々木匠に登場願った。東日本大震災から10年という節目の年、あのときベガルタに光を与えてもらった少年は今、与える側としてピッチに立つ――。

上写真=定位置どりを目指す佐々木匠(写真提供◎VEGALTA SENDAI)

子どもの頃から憧れていた梁勇基

――佐々木匠選手のtwitterのアカウントを見れば、すぐに"マイヒーロー"が分かりますね。あのアイコンは、いつの写真のものなのですか。

佐々木 プロ2年目(2017年)です。写真の場面はルヴァンカップの清水エスパルス戦で当時、ベガルタ仙台の背番号10を付けていたリャンさん(梁勇基/現サガン鳥栖)と交代するときもの。リャンさんの意思を引き継ぎたいという思いを込めて、アイコンに使わせてもらっています。

――当時のことは覚えていますか。

佐々木 はっきりと。交代前にユアスタ(ユアテックスタジアム)のベンチでリャンさんのプレーを見ていて、まだまだ差があるなと感じました。リャンさんはピッチ、スタジアムの雰囲気をガラリと変える力を持っていました。僕にはその力がまだなくて……。
 写真とは別の試合になりますが、実際にリードされている展開で僕と交代で入ったリャンさんが、試合の流れを変えて、2点差を追いついたことがあったんです。2017年のサンフレッチェ広島戦も、いまでも記憶に深く残っています。あらためて、偉大な選手だなと思います。幼い頃からずっと憧れていましたから。

――いつ頃から梁勇基選手に惹かれていたのですか。

佐々木 幼稚園の頃からベガルタを好きでしたが、リャンさんのプレーを見始めたのは小学生でした。ユアスタに足を運んで観戦し、練習場ではサインももらいました。リャンさんがプロ1年目で背番号30を付けていた頃から好きでした。一人のサポーターとして心をつかまれたんです。僕は小学校3年生からベガルタのジュニアチームに在籍しているのですが、幼いながらにゴールパフォーマンスをマネしたのを覚えています。点を決めたリャンさんのスパイクを佐藤寿人さん(昨季限りで引退)が磨いているのを見て、同じことをしていました。

――いまでも梁勇基選手との交流はあるのですか。

佐々木 電話をもらったりします。昨季もサガン鳥栖戦後に声をかけてもらいました。シーズン終盤で対戦したユアスタではユニフォーム交換もしたんです。チーム状況が良くなかったのですが、個人的にはっぱをかけてもらいました。「お前にとって、ここがチャンスだ。いま頑張れば、レギュラーに定着できるぞ。お前はもっとやらないといけない。俺は期待しているからな」って。実際、あの言葉で僕のスイッチが入りました。次節のガンバ大阪戦(○4-0)で勝てましたし、アシストもできたんです。本来であれば、リャンさんに言われる前に自分でスイッチを入れないとダメなんですけどね。

――梁勇基選手と交換した鳥栖のユニフォームは、どうしたのですか。

佐々木 家の玄関に飾っています。リャンさんのユニフォームを見てから、毎日練習に出かけています。僕にとっては、それくらいの存在なので。まさか対戦相手となることは想像していなかったですが。


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