1993年にスタートしたJリーグでは、様々な特徴を持つストライカーがゴールを奪い、得点王に輝いてきた。Jリーグ得点王の活躍を振り返る連載の第12回は、驚異のスピードでJリーグを席巻したエメルソンを取り上げる。

上写真=一瞬で相手DFを振り切るスピードを武器に浦和の攻撃を支えたエメルソン(写真◎J.LEAGUE)

2年目のシーズン途中に浦和へ

 2000年にブラジルのサンパウロから、岡田武史監督率いるコンサドーレ札幌に加入したエメルソンは、1年目からJ2リーグで34試合出場・31得点と大爆発。171センチ・69キロの小柄な体格ながら、瞬時の加速で相手を置き去りにするスピードと、鋭く振り抜く右足の力強いフィニッシュを武器にゴールを量産し、J2得点王に輝くとともに札幌のJ1昇格に貢献した。

 翌01年は、当時J2リーグの川崎フロンターレに移籍し、ここでも18試合出場・19得点と活躍していたが、シーズン途中に浦和レッズに移籍。2ndステージから初めてJ1リーグでプレーし、ここでも13試合出場・7得点と結果を残していた。

 02年からは背番号10を背負い、押しも押されもせぬ浦和のエースとなったエメルソンは、同年にJ1で24試合出場・15得点、翌03年も25試合出場・18得点を挙げ、03年にはJリーグMVPにも輝いている。浦和はこの間、ナビスコカップで02年に決勝進出、03年には初優勝を飾り、浦和レッズとして初タイトルを獲得するなど、チーム力も着実にアップしていた。

 迎えた04年、ブッフバルト新監督が就任。エメルソンは1stステージで開幕から2試合連続の計3得点を挙げるなど活躍していたが、第3節では23分までに2回の警告を受けて退場となり、チームも初黒星を喫してしまう。それまでも得点力の高さが評価される一方、練習への遅刻などの素行の問題や、警告・出場停止の多さも指摘されており、不安が露呈した形になった。

 出場停止明けの第5節で1得点、第6節ではハットトリックを達成するなど、プレーすれば能力に疑いの余地はなかったが、警告の多さは相変わらずで、1stステージ最終節も警告累積で出場停止に。エメルソンは11試合出場・13得点と活躍し、チームも3位とまずまずの結果を残したものの、リーグタイトル獲得のためにはチームも、エメルソン自身も、もう一段のレベルアップが必要だった。


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