あの頃があるから今がある――。この連載では大学時代に大きく成長し、プロ入りを果たした選手たちを取り上げる。J戦士は大学時代にどんな選手だったのか。第2回は、明治大からFC東京に加入し、現在は名古屋グランパスでプレーするDF丸山祐市だ。

上写真=明治大の守備の要として活躍したDF丸山(写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

文◎杉園昌之 写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子、J.LEAGUE

「プロには行きません」

 いまから10年前だ。秋も深まる頃、西が丘サッカー場にはJクラブのスカウトたちが、ずらりと顔をそろえていた。あるクラブの担当は、明治大の3年生センターバックに熱い視線を注ぎながら、深いため息を漏らした。

「すぐにJ1でも通用すると思う。左利きでフィードが良くて、高さもある。ラインコントロールも冷静にできる。本来なら争奪戦になるだろうね。だけど、本人は就職希望でプロには行くつもりはないって、言うんだよ」

 当時21歳の丸山祐市である。2010年シーズンは明治大の守備陣を統率し、関東大学リーグ制覇に大きく貢献。アジア競技大会に出場するU-21日本代表にも招集されるなど(負傷で辞退)、大学サッカー界の枠を超えて注目される存在になっていた。

 カバーリングに長けた守備力に加えて、左足から繰り出すミドルパスはピタリと味方の足元へ。プレースキックでも力を発揮し、直接FKからゴールも狙った。2年時には左サイドバックでもプレーしており、そのユーティリティー性もあって評価をさらに高めた。当然スカウトの声は、本人の耳にも届いていたはずだ。しかし、大学3年生の11月からは就職セミナーに参加し、エントリーシートの作成に注力。2010年の秋、西が丘サッカー場ではっきりと口にしていた。

「プロには行きません。大学に入ってから、プロになる姿を想像したこともないです」

 スカウトから噂に聞いていたが、丸山の言葉には強い意志がにじんでいた。国学院久我山高時代に右ヒザじん帯を断裂したときに自分に言い聞かせたという。「プロではやっていけない」と。明治大にもスポーツ推薦ではなく、指定校推薦で入学。プロ入りを目指して、名門の門を叩いたわけではない。コツコツと努力を重ねて、周囲をうならせるタレントとなったものの、サッカーでは生きていかないという考えがブレることはなかった。

 そして横浜F・マリノス、アルビレックス新潟といったJ1クラブからの誘いを断り、第1志望だった損害保険会社の就職試験に臨んだ。


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