鳥取・米子北高のMF佐野航大(さの・こうだい)のファジアーノ岡山への加入内定が発表され、同校で記者会見が行なわれた。高校での自身の成長や、地元のJクラブで戦う決意、同じ舞台で戦う兄への意識などを語っている。

上写真=岡山加入が内定した佐野(右)と、岡山の鈴木徳彦GM(写真◎石倉利英)

米子北高で「人間性や私生活が重要だと学んだ」

 岡山県津山市出身の佐野は、地元のFCヴィパルテ(Viparte)から2019年に米子北高に進学。1年夏のインターハイから出場機会をつかみ、全国大会でのプレーを重ねて着実に成長を遂げてきた。

 当初はFWだったが、今年度はボランチでプレーして豊富な運動量、タイミングの良い攻撃参加などの持ち味を発揮しており、8月に開催されたインターハイ(全国高校総体)でも主軸として活躍。自ら先制PKを決めた決勝では青森山田高(青森)に逆転負けしたものの、12年ぶりの準優勝に貢献し、大会優秀選手に選出されている。

 3歳上の兄・海舟(かいしゅう)もFCヴィパルテから米子北高に進んで1年時から活躍し、卒業後の19年にFC町田ゼルビアに加入して、現在は主力の一人となっている。航大も年を追うごとにJクラブの注目を集める存在となり、兄に続いてプロとしての第一歩を踏み出すこととなった。

 岡山の鈴木徳彦ゼネラルマネジャー(GM)、米子北高の吉川隆司校長、サッカー部の城市徳之総監督とともに登壇した佐野は、「プロサッカー選手になるという小さい頃からの夢を、地元の岡山でかなえることができて、大変うれしく思っています。ファジアーノ岡山の一員として自覚と責任を持って行動・プレーし、自分の長所であるドリブルやパス、ゴール前での冷静さやアイディアを存分に発揮して、J1昇格に向けて頑張っていくので、よろしくお願いします」とあいさつ。加入が決まったときの心境を「小さい頃からファジアーノの試合を見ていて、スタジアムの雰囲気や選手のプレーにあこがれていたので、あこがれの選手に一歩近づいたと思った」と表現した。

 米子北高に進学して「サッカーのこともたくさん教わりましたが、人間性や私生活が重要だと学んだ」という。「1年生の頃は全然結果が出なくて、それも私生活や責任感のない行動が原因だったと思う」と振り返り、「3年生になって、自覚と責任を持った行動やプレーができるようになり、メンタル面が強くなって成長した」と手応えを語った。また、プロでやっていくために「まだJの舞台で通用する武器ではないが、ゴール前でのアイディア、遊び心のあるプレーなどは、もっと伸ばして、Jリーグでも通用する武器にできたら」と抱負を語っている。

 鈴木GMは今年5月の練習参加時の様子を「プロの練習に初めて入ると、なかなか自分の特徴を出せない選手が多いが、すごく落ち着いていて、自分のやりたいことをプレーの中で示すことができる。それだけの技量、心の落ち着き、やってやるんだという気持ちも強く感じた」と明かす。その上で「我々としても、このクラブを高みに連れていってもらえるメンバーの一人として、ぜひ来てほしいということで声を掛けさせていただいた」と獲得の理由を説明した。

 成長を見守ってきた城市総監督は「絶対にプロになるという強い気持ちでやってきた。3年生になって成長して、全国でもできることを証明してくれた」と評価。「ファジアーノさんにお世話になりながら、今度はプロの選手として活躍できるように応援していきたい。サッカー部で学んだ感謝の気持ち、謙虚な心、逆境に負けないメンタリティーの強さなどで、プロになっても引き続き頑張ってほしい」とエールを送った。

 米子北高卒業後すぐにJクラブに加入するのは、2011年のDF昌子源(→鹿島アントラーズ、現ガンバ大阪)、FW谷尾昂也(→川崎フロンターレ、現ガイナーレ鳥取)、19年のMF佐野海舟、20年のDF高橋祐翔(→大分トリニータ、今季はJFLのヴェルスパ大分に育成型期限付き移籍)に次いで5人目となる。兄の海舟とJリーグの舞台で対戦する可能性について問われると「それも夢の一つだった。小さい頃から一緒にボールを蹴ってきて、1対1をしても負けてばかりだったので、プロという大舞台で戦って、やり返してやりたい」と笑顔で思いを馳せていた。

 最後のフォトセッションでは、鈴木GMから受け取ったユニフォームに袖を通して「ファジレッド、いいですね!」とニッコリ。充実の表情からは、夢の入り口に立った喜びがあふれていた。

取材・写真◎石倉利英


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