連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、新監督の就任とともに絶滅危惧種を保護し、世界にその価値を再認識させた、2000年代初頭のFCバルセロナを取り上げる。

上写真=ロナウジーニョのゴールを祝福するバルサの面々(写真◎Getty Images)

文◎北條 聡 写真Getty Images

クライフ式への回帰

 右翼か左翼か、という二者択一ではない。右翼と左翼がそろってこそ、最強への第一歩。どうも、そういうことらしい。

 レッドリスト(絶滅危惧種)に指定されていた「ウイング」という生き物が、いかに重要か。手厚い保護で、それを全世界に再認識させる集団が現れた。彼らに対して、常に大きなスペースを用意し、十分な自由を与えて、やりたいようにさせる。その明確な狙いに沿ってチームが組織されていた。

 この試みが大きな成功を収めると、瞬く間に「ウイング保護」の一大ブームが巻き起こる。火付け役は、師の教えに従う1人のオランダ人だった。

 転機は2003年夏のことだ。不振にあえぐスペインの名門クラブに若い指導者がやって来る。フランク・ライカールトだ。当時40歳。3年前のEUROで祖国オランダの指揮を執り、ベスト4へ導いたが、それ以外にこれという実績はなかった。

 クラブの首脳陣に彼を推薦したのがクライフだった。1990年代に最強バルサを築いたオランダ人は、首脳陣から後任候補をめぐる相談を受けていた。

 ライカールトはクライフの弟子にあたる。現役時代、祖国の名門アヤックスで、指揮官クライフの薫陶を受けていたからだ。

 我が哲学を継ぐ者なり――との思惑がクライフにあった。首脳陣の見立ては候補の三番手だったとも言われるが、最終的に2年契約を交わすことになる。当時のバルサは実に4シーズンもタイトルから見放されていた。前年に至っては監督交代が相次ぐ迷走の末、リーグ戦で6位に沈む体たらく。再建は急務だった。

 ただでさえ、カンプノウ(スタジアム名)に押し寄せるファンは手厳しい。たとえ勝っていても、時間稼ぎのパス回しをやろうものなら、ブーイングである。

 勝利は前提だ。その上で魅せるサッカーをしなければ、満足してもらえない。監督や選手に求められるハードルが、すこぶる高いのだ。凡庸な指導者では、まず務まらない仕事だろう。

 だが、ライカールトは違った。「クライフ式」を見事に実践することになったからだ。

ウイング×2の原則

画像: クライフの薫陶を受けた青年監督ライカールトの就任とともにバルサは復活を遂げた(写真◎Getty Images)

クライフの薫陶を受けた青年監督ライカールトの就任とともにバルサは復活を遂げた(写真◎Getty Images)

 もっとも、ライカールト政権は初めから順風満帆だったわけではない。前半戦の戦いぶりには批判が渦巻いていた。

 4節から順位が下降線をたどり、18節では12位に沈んでいる。この頃のシステムは、実にオーソドックスな4-2-3-1だった。そこで指揮官は後半戦に入り、システムの見直しを図る。出した結論が、4-3-3。クライフ式への回帰だった。

 いや、厳密には4-3-3という数字の並び自体が重要なわけではない。最前列の右と左に大きく開いた「ウイング」というポジションを用意したことに大きな意味があった。

「私はどんな場合でもウイングを使う。ピッチを広く使いたいからだ。そこで右と左の両端に選手を置く。これだけは譲らない」

 クライフの言葉だ。クライフ式で確定しているポジションは、それだけである。あとは、各選手の個性によって、システムを変えていく――というのが、クライフの持論だった。

 右翼と左翼。

 この2つのポジションさえあれば、4-4-2でも、3-5-2でもいいわけだ。実際、クライフは自分のシステムを、そのように呼ぶこともあった。

「ボックス内で勝負できるタイプがいなければ、前列の中央に選手を置かず、トップ下に組み込めばいい」(クライフ)

 これが、俗に言う『ファルソ・ヌエベ』のことだ。スペイン語で「偽の9番」という意味である。何を隠そう、現役時代のクライフ自身が、そうだった。トップが不在でも、ウイングのポジションだけは必ず用意する。ライカールトは、そんなクライフ式の基本の「き」に立ち戻ることで、逆襲に転じていく。

 事実、後半戦の戦績は、破竹の9連勝を含む、14勝3分け2敗。驚異的な追い上げで、優勝争いに絡み、最終的には2位でシーズンを終えることになった。

 巻き返しの動力源は、ほかでもない、ウイングだ。それも最前列の左からアクションを起こす陽気なブラジル人だった。


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