連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人、試合を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、ゼロ年代最初の南米王者ボカ・ジュニアーズだ。異才を組み込んだチームは、トヨタカップでレアル・マドリードも撃破した。

上写真=まさにピッチ上の王様だったリケルメ。その才能をボカで存分に発揮した(写真◎Getty Images)

文◎北條 聡 写真◎Getty Images

ビアンチの企み

 1人の異端児と、10人の愉快な仲間たち――。

 それが、彼らに最もふさわしいキャッチコピーだろうか。現代では、ほぼ絶滅しかけたコンセプトがチームを貫く幹だった。

 スターシステムだ。

 天才と心中。極論すれば、そうなる。利得は大きいが、損失もまた大きい。1か0か。

 アルゼンチンの名門ボカ・ジュニアーズを率いる指揮官は迷わず「心中」を選んだ。その決断が、世界制覇という空前の偉業を成し遂げることになった。ミレニアム(千年紀)なる言葉が流行した2000年のことである。そんな区切りの年に、古びたシステムがよみがえった。

 天才と愉快な仲間たち――その脚本を手がけたのはアルゼンチンの名将カルロス・ビアンチだ。現役引退後の1993年に古巣であるベレス・サルスフィエルドの新監督に就任。長くタイトルから遠ざかってきたクラブを、いきなりリーグ優勝へと導いた。

 翌年には、南米最強クラブを決めるリベルタドーレス杯を制覇。同年冬のトヨタカップ(インターコンチネンタルカップ)でイタリアの名門ミランを破り、世界にその名をとどろかせた。1996年にはその手腕を買われ、ローマ(イタリア)の監督に就任。だが、途中解任の憂き目に遭い、1998年にボカの新監督に迎えられた。

 ベレスを率いた時代は、当時の最先端であるプレッシング戦術を導入。本家のミランに劣らぬインテンシティの高いチームをつくり上げている。だが、ボカでは違った。システムは中盤をダイヤモンド型に組んだ4-4-2、あるいは4-3-1-2と言ってもいい。ベレス時代の4-4-2システムを捨てている。

 理由は単純だろう。この布陣ではどうにも収まりにくい大駒が、指揮官の手元にあったからだ。

伝統の『エンガンチェ』

画像: リベルタドーレスカップはパルメイラスをPK戦の末に下し、優勝。リケルメ(右)はチームの中心として優勝に大きく貢献した(写真◎Getty Images)

リベルタドーレスカップはパルメイラスをPK戦の末に下し、優勝。リケルメ(右)はチームの中心として優勝に大きく貢献した(写真◎Getty Images)

 当時のボカには、掛け値なしの天才がいた。

 フアン・ロマン・リケルメだ。中村俊輔と同じ1978年生まれだから、当時は弱冠20歳の若造にすぎない。それでも、ビアンチは彼をハブ(中軸)にして、チームをつくった。それだけの価値が十分にあると見込んだわけである。

 さて、どう生かすか。アルゼンチンでは、天才仕様の特殊なシステムが広く共有されてきた。

『エンガンチェ』である。

 英語で言えば、フック(引っ掛ける)の意味に近い。いわゆる、トップ下のことである。ここが、天才の座る指定席なのだ。エンガンチェを組み込むシステムが普及したのは1980年代。従来の3トップ(4-3-3)から、2トップへ移行するプロセスの中で生まれてきたシステムと言ってもいい。

 それが4-3-1-2である。前線の構成だけを(2トップ+トップ下に)組み替えた4-3-3の変形だ。特に、南米を中心に広く定着。1986年のメキシコ・ワールドカップで、王国ブラジルがトップ下にベテランのソクラテスを据えた新システム(4-3-1-2)を採用している。

 クラブレベルでも1984年冬のトヨタカップで優勝したインデペンディエンテ(アルゼンチン)が好例だろう。4-3-1-2の「1」に、俊英ホルヘ・ブルチャガを据えて戦っていた。1990年代では、1991年のコパ・アメリカ(南米選手権)を制したアルゼンチンがそうだ。エンガンチェのレオ・ロドリゲスが強力2トップを操って、ゴールラッシュを手引きしている。

 ともあれ、大国のアルゼンチンでは成功体験に事欠かない。ならば、その手に大駒を持つビアンチが伝統のシステムへ乗り換えるのも当然だったか。

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