写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子、J.LEAGUE
あの頃があるから今がある――。この連載では大学時代に大きく成長し、プロ入りを果たした選手たちを取り上げる。第7回は、鹿島アントラーズの下部組織出身で、早稲田大からプロに進んだMF島田譲だ。

上写真=大学4年時に関東1部リーグのベストイレブンに選出されたMF島田(写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

文◎杉園昌之 写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子、J.LEAGUE

下積みを経て主力に定着

 観る者を魅了するレーザービームは早稲田大時代から変わらない。そのボールは低くて速く、味方の足元へピタリと届く。今季からアルビレックス新潟でプレーする島田譲のキックは、昔も今も特別である。エンジのユニフォームを着ている頃から得意のミドルパスには、絶対の自信を持っていた。

「左足は僕の武器。鋭いサイドチェンジは意識して出しています。あれが通ると気持ちいいんですよ。サッカーをやっていて、楽しいと感じる瞬間です」

 鹿島ユースからトップ昇格は果たせなかったが、プロの夢をあきらめずに名門大へ。1年生の頃はほとんど評価されず、目標を失いかけていた時期もあったというが、トレーニングには100%で打ち込んだ。試合に出場できない時期も自己管理を怠らず、練習前後の準備とケアは徹底。地道に努力を続け、頭角を現したのは3年生の頃である。鹿島ユース時代からの恩師である古賀聡監督(当時、現・名古屋グランパスU-18監督)に重用され、持ち前のパスワークを遺憾なく発揮した。そのプレーのこだわりを早稲田大の練習場で聞いたことがある。

「受け手が余裕を持ってプレーに移れるようなパスが理想です。レアル・マドリード(スペイン)のシャビ・アロンソの映像を見て、研究することもあります。ただパスを出すのではなく、メッセージを付けて出さないと。自分のことだけではなく、味方のこと、チームに求められていること、監督に要求されていることを考えてプレーしています」

 当時はまだ大学4年生だったが、21歳の口からすらすらと出てくる言葉はすでにプロフットボーラーのそれ。茨城出身の島田は幼い頃から鹿島の小笠原満男(現・鹿島アカデミー・アドバイザー)に憧れて、多くのことを学んできた。最後まであきらめずに戦う姿勢、献身的なハードワーク、相手DFの背後を突くスルーパスなど、そのすべてが目に焼き付いている。

「小笠原さんは、ずっとお手本でした。僕にとっては特別な存在です」


This article is a sponsored article by
''.