連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人、試合を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、90年代初頭にヨーロッパを席巻し、フランス勢初の快挙を成し遂げたオリンピック・マルセイユだ。

上写真=オリンピック・マルセイユは1992-93シーズンはチャンピオンズリーグを制した(写真◎Getty Images)

文◎北條 聡 写真◎Getty Images

愚者と賢者

 金は出せども、口は出さず――とは理想だろうか。古今の東西を問わず、巨万の富を築いた者たちの「万能感」は凄まじい。サッカー界もそうだ。拝金主義にまみれたオーナーたちの多くは何かと現場のやることに口を挟みたがる。それこそ、補強に投じた金額以上のボリュームで。

 自らを門外漢(その筋の素人)と認める良識が、ひとかけらもない。ピッチ上で卑金属(タレント群)を貴金属(常勝軍)へと変換するには、確かな腕をもった錬金術師(監督)が必要だ。

 その昔、企業買収で財を築いた実業家ベルナール・タピの所有する強豪マルセイユ(フランス)も常に「積み木崩し」の危険と隣り合わせにあった。その悪循環にようやくピリオドが打たれたのは、1990年代初頭のことだ。

 愚者(タピ)の悪態にも動じることなく、とことんプロの仕事に徹する賢者が現れたからだ。それが、レイモン・ゲタルスという名の錬金術師だった。マルセイユがタピに買収されたのは、1986年のことである。巨額を投じて国の内外からタレントをかき集め、たちまちフランス随一の強者へのし上がった。

 1989年夏、17年ぶりに国内リーグで優勝を果たすと、さらに大きな「獲物」に照準を絞り込む。フランス勢がまだ一度も成しえていないヨーロッパ制覇の夢だ。そして翌年の夏、三顧の礼をもって新監督を迎え入れる。直前のイタリア・ワールドカップにおいて西ドイツを優勝へ導いたフランツ・ベッケンバウアーだ。

 ところが、タピは半年も経たないうちに、スーツを着た『皇帝』に引導を渡してしまう。

「ドイツのバイエルンなど強国の名門と比べると、まだまだ遅れている。マルセイユがメガクラブと見なされるには、相応の時間をかけなければならない」

 皇帝の「正論」にタピは怒りを爆発させた。そして、国内リーグの覇権を争うライバルの指揮官を後釜に持ってくる。名門ボルドーを率いていたゲタルスだった。

大を食う魔術師

画像: 百戦錬磨の指導者と言えたゲタルス。彼の監督就任によりチームは勝利を積み重ねていった(写真◎Getty Images)

百戦錬磨の指導者と言えたゲタルス。彼の監督就任によりチームは勝利を積み重ねていった(写真◎Getty Images)

 ゲタルスは知る人ぞ知る、百戦錬磨の指導者だ。御年68歳。祖国ベルギーの代表、クラブの双方で数々の実績を残してきた。代表監督として長期政権を築くと、1972年ヨーロッパ選手権(EUROの前身)で3位入賞。列強国と見事に渡り合った。

 また、祖国のクラブ監督として名門アンデルレヒト時代に二度、さらにスタンダール・リエージュ時代に二度、UEFAカップウィナーズカップの決勝へ進出。そのうち、1978年夏のファイナルではアンデルレヒトに栄冠をもたらしている。

 サッカーのイロハを知り尽くした理詰めの采配から「科学者」の異名を取る一方、小よく大を制す仕事ぶりから「魔術師」とも呼ばれた。それこそジャイアントキリングの達人と言ってもいい。反面、買収事件に絡んで、資格停止処分を食らうなど、モラルに欠ける点ではタピと大差がない。それでも「勝たせる手腕」は疑いなく、一流のそれだった。

 就任当初、周囲の人々を驚かせたのが、ピッチ上の「人事」である。会長が大枚をはたいて獲得した数人のスター選手を、容赦なくベンチへ追いやったからだ。大駒ドラガン・ストイコビッチはもとより、フランス代表を担う逸材と期待されていたエリック・カントナやフィリップ・ベルクリュースからも先発の座を取り上げてしまう。地元サポーターの怒りを買ったのも当然だった。

 だが、周囲の反感は次第に薄れていく。新監督の手がけたチームが見事に機能し、他国を代表する名門、強豪を次々と打ち破ったからだ。とりわけ、チャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前身)準々決勝における戦いぶりは決定的だった。


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