歴史を学ぶ『日本サッカー温故知新』の第5回。この連載では日本サッカーが大きく発展した『平成の30年間』を写真と記録で振り返る。平成5年度(1993年度)は、Jリーグが開幕し、日本代表が世界との距離を知った年。歓喜と悲劇が交錯したーー。

上写真=勝てばW杯出場が決まるイラク戦の終了間際。サルマンに同点弾を決められ、夢はついえた(写真◎サッカーマガジン)

悲願のプロリーグ誕生

 日本サッカー界が大きく動いた年だ。待ちに待ったプロサッカーリーグが開幕。ヴェルディ川崎と横浜マリノスの開幕戦が行なわれた国立競技場には5万9626人が詰めかけ、華々しくJリーグがスタートした。すでに鹿島アントラーズに入団していたジーコや名古屋グランパスエイトに加入していたガリー・リネカー、ラモン・ディアス(横浜M)らに加え、ワールドカップ王者ドイツのピエール・リトバルスキーが開幕直前にジェフユナイテッド市原に加入するなど、ワールドクラスの選手たち参戦でリーグはますます盛り上がることになった。

 サントリーシリーズ(前期)を制したのは鹿島、そしてニコスシリーズ(後期)で優勝を飾ったのは、V川崎。年をまたぎ、94年1月に国立競技場で開催された両王者によるチャンピオンシップでは、V川崎が2試合合計3-1で勝利を飾り、記念すべきJ初代王者に輝いた。なお、2戦目でV川崎にPKが与えられた判定を不服としてジーコがボールにツバを吐き、退場処分となっている。

 一方、日本代表では、アメリカ・ワールドカップアジア地区最終予選で日本サッカー史に残る出来事が起きた。苦しみながらもあと1勝で夢のW杯出場という状況で迎えたイラクとの最終戦で、アディショナルタイムに同点ゴールを決められ、夢がついえたのだ(2-2)。

 引き分けでも日本には突破の可能性が残されていたが、他会場で行なわれていたサウジアラビア対イランは、サウジアラビアが勝利して勝ち点を7に伸ばし、日本は6だったために上回られた。そして韓国対北朝鮮では韓国が3-0の勝利を収め、日本と同勝ち点ながら得失点差で2ポイント上回られることとなり、4戦を終えて1位だった日本は3位に後退。本大会出場を逃した。

「ドーハの悲劇」として語られるこの経験はしかし、その後の日本サッカーの発展に重要な意味を持つことになる。当時のチームの主将を務めた柱谷哲二はのちに「あの悲劇は日本と世界までの距離を示し、その差が何なのかを考えさせることにつながった」と振り返っている。

■平成5年度の主な出来事(1993シーズン)

・2月15日 FIFAがJリーグの15分ハーフの延長戦(サドンデス制)を認可
・3月28日 全日本女子選手権は日興證券が2年ぶりに優勝(第14回・92年度)
・4月8日 アメリカW杯アジア地区第1次予選はカズのゴールでタイを下して、白星発進
・4月16日 第3回アジア・カップウィナーズ選手権で横浜M(現横浜FM)が2連覇を達成
・5月2日 第5回日本女子リーグが開幕
・5月7日 UAEと引き分けた日本がアジア地区予選第最終予選進出を決める
・5月10日 市原(現千葉)に加入するリトバルスキー来日。記者会見には200人を超える報道陣が集まった
・5月15日 Jリーグ開幕。V川崎(現東京V)のマイヤーがJ初ゴールを記録も、横浜Mが逆転勝利を収める。視聴率は32.4%
・5月16日 ジーコが名古屋との開幕戦でJリーグ第1号となるハットトリックを達成
・7月3日 加藤久がV川崎から清水に移籍。Jリーグ移籍第1号選手となる
・7月7日 鹿島がサントリーステージを制し、初代チャンピオンに。優勝決定試合には470人の報道陣が駆け付ける
・7月17日 オールスターはカズの2点でEASTが勝利
・8月21日 日本でU-17世界選手権が開幕
・9月4日 ナイジェリアの優勝でU-17世界選手権が閉幕。日本はベスト8で敗退した
・9月5日 ベルマーレ平塚がJFL優勝
・9月15日 高円宮杯(U-18)決勝は延長戦の末、清水商高が鹿児島実高を下す
・10月4日 アジア・アフリカ選手権で日本代表がコートジボワールを下し、史上初の大陸間の王者に
・10月15日 アメリカW杯アジア最終予選初戦のサウジアラビア戦はスコアレスドローに終わる
・10月25日 カズの1点を守り抜き、W杯予選で韓国から初勝利
・10月28日 終了間際にイラクに追い付かれ、アメリカW杯出場を逃す。この一戦は「ドーハの悲劇」として語り継がれる
・11月11日 オフト監督が日本代表監督を退任
・11月16日 平塚と磐田のJリーグ昇格が決定
・11月23日 V川崎が清水を下してナビスコカップ連覇
・11月28日 大学選手権で早稲田大が2年ぶり9回目の優勝
・12月8日 V川崎がニコスシリーズ制覇
・12月29日 カズが世界選抜の一員としてミランと対戦
・94年1月1日 横浜Fが鹿島を下して天皇杯制覇(第73回・93年度)
・94年1月8日 高校選手権は清水商高が3度目の優勝(第72回・93年度)
・94年1月16日 チャンピオンシップ第2戦は引き分けに終わるも、第1戦で勝利したV川崎が初代王者に輝く
・94年2月6日 優勝決定戦でベレーザが清水鈴与を下し、日本女子リーグ4連覇

画像: ファン、関係者の悲願だったプロリーグが開幕。記念すべきオープニングマッチは5月15日に国立競技場で開催され、JSL時代からライバル関係にあったV川崎と横浜Mが激突した(写真◎J.LEAGUE)

ファン、関係者の悲願だったプロリーグが開幕。記念すべきオープニングマッチは5月15日に国立競技場で開催され、JSL時代からライバル関係にあったV川崎と横浜Mが激突した(写真◎J.LEAGUE)

画像: 5月15日、オープニングマッチはV川崎がマイヤーの得点で先行するが、エバートン、ディアスのゴールで横浜Mが逆転勝利を収めた(写真◎J.LEAGUE)

5月15日、オープニングマッチはV川崎がマイヤーの得点で先行するが、エバートン、ディアスのゴールで横浜Mが逆転勝利を収めた(写真◎J.LEAGUE)

画像: 10月25日、追い詰められていた日本はカズの1点を守り抜き、W杯予選で韓国に勝利。1位に順位を上げたが…(写真◎サッカーマガジン)

10月25日、追い詰められていた日本はカズの1点を守り抜き、W杯予選で韓国に勝利。1位に順位を上げたが…(写真◎サッカーマガジン)

画像: 10月28日、最終節のイラク戦で試合終了間際に追いつかれ、アメリカW杯出場ならず…(写真◎サッカーマガジン)

10月28日、最終節のイラク戦で試合終了間際に追いつかれ、アメリカW杯出場ならず…(写真◎サッカーマガジン)

画像: のちに「なかなか現実を受け入れられなかった」と振り返った柱谷哲二主将。右はオフト監督(写真◎サッカーマガジン)

のちに「なかなか現実を受け入れられなかった」と振り返った柱谷哲二主将。右はオフト監督(写真◎サッカーマガジン)


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