連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、2002年のワールドカップで旋風を巻き起こしたセネガル代表だ。常識をあざ笑ってみせたアフリカの星について綴る。

上写真=開幕戦でフランスを破ったセネガル。決勝点を挙げたのはパペ・ブバ・ディオップだった(写真◎J.LEAGUE)

文◎北條 聡 写真◎Getty Images

テランガのライオン

 昨今、良識派の見立てが、ことごとく空転している。

 イギリスのEU離脱、アメリカにおけるドナルド・トランプ大統領の誕生――。多くのメディアや専門家が物差しにする「常識」が、いとも簡単に覆された。

 驚きの結末。
 世紀の大番狂わせ。

 当時の現地紙の一面に躍った文言は、果たして、的を射たものだったか。彼らがアテにした常識は、時代錯誤の思い込みにすり替わっていたのかもしれない。

 2002年の夏にサッカー界で起きた「ジャイアントキリング」にも何やら同じ香りが匂い立ってくる。まさか世界王者のフランスが負けるはずがない――。
 そうした思い込みが「彼ら」の真の実力を見誤る引き金か。その彼らこそ『テランガのライオン』と呼ばれるセネガルだった。

 サッカー史に残るアップセットは、世界地図の端にある東アジアで起きた。2002年に開催された日韓ワールドカップだ。

 アジアでの開催が初めてなら、2カ国による共同開催も初めてのことだった。商業主義へひた走るFIFA(国際サッカー連盟)は1980年代から大会規模を拡大し、各大陸の予選を勝ち抜いてきた32カ国が、日本と韓国の両国に集うことになった。

 優勝候補の最右翼と目されたのは、連覇を狙うフランスである。ロジェ・ルメール監督率いる一団は、2年前に開催されたEURO(ヨーロッパ選手権)も制し、隙のない常勝軍と化していた。

 日韓大会の栄冠を手にすれば、空前絶後のメジャー大会3連覇。それも決して夢物語ではない、とする専門家も少なくなかった。

 そのフランスと同じグループAに組み込まれたアウトサイダーがセネガルだった。過去、ワールドカップの本大会に一度も駒を進めていない。人口900万人足らずの小国である。

 前年暮れのドローの結果、そのセネガルが、開幕戦でフランスと戦うことになった。抽選後、感想を問われたフランスの指揮官は、歓迎の意を隠せなかった。

「セネガルは確かに高いポテンシャルを持っている。だが、彼らは概してチームのためでなく、自分自身のためにプレーする」

 長らくアフリカ勢に関して語られてきた「常識」は、セネガルにも当てはまるのかどうか。開幕戦の焦点は、そこにあった。

アフリカのフランス

画像: フランス代表のビエラと競り合うディウフ(写真◎Getty Images)

フランス代表のビエラと競り合うディウフ(写真◎Getty Images)

 セネガルは、アフリカ最西端に位置する共和国だ。首都ダカールは、かつての『パリ=ダカール・ラリー』の終着点としてよく知られている。

 興味深いのはフランスとの深いつながりだ。1960年に共和国として独立を果たすまで、長らくフランスの植民地だった。

 国民の大半は敬虔なイスラム教徒だが、公用語はいまもフランス語である。独立後も「親仏路線」を維持してきた。

 サッカー界もフランスとの結びつきは強い。1980年代の英雄ジュール・ボカンデらがフランスの各クラブで活躍している。しかし、代表レベルの実績に乏しく、アフリカ・ネーションズカップでも4強入りがやっとだった。

 アフリカの第2グループに甘んじるセネガルに転機が訪れたのは21世紀を迎えてから。2000年にフランス人のブルーノ・メツが新監督の椅子に座ると、風向きが大きく変わった。

「選手たちの私生活には干渉しない。肝心なのは試合中のパフォーマンス。個人を尊重するのが私の考え方だ」(メツ)

 こうしたスタンスが個々の潜在能力を引き出すことになる。その好例が、未完の大器エルハッジ・ディウフの覚醒だ。
 監督との衝突、無免許運転など数々のトラブルを抱え、フランスのクラブを転々していた若者は、メツの下で持て余していた才能を存分に発揮する。アフリカ予選の9試合で最多の8ゴールを記録。予選突破の動力源となった。

 幸い、メツの手元にはディウフ以外にも頼もしい駒がそろっていた。20人のフィールドプレーヤーのうち、19人がフランスのクラブに在籍。まさに「アフリカのフランス」と言うべき陣容だった。

 予選突破の勢いを駆って、その後のアフリカ・ネーションズカップで初の決勝進出。優勝こそ逃したが、周囲のセネガルを見る目は変わりつつあった。

 それでも、セネガルにルーツを持つフランス代表のパトリック・ビエラは、余裕たっぷりの顔つきでメディアにこう話している。
「何であれ、開幕戦で負けるのは彼らの方だ」と――。

 それは、フランス人の思いを代弁していただけではない。専門家を含む、多くの人々の見立てでもある。

 そこに歴史的なジャイアントキリングの萌芽があった。


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