連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、1994年に4度目の世界制覇を成し遂げたブラジル代表だ。彼らは伝統を再解釈した新しいセレソン像を世界に示したのだった。

上写真=4度目の世界制覇を果たしたブラジル代表(写真◎Getty Images)

文◎北條 聡 写真◎Getty Images

東西のワールドカップ

 秩序と進歩――。そう聞いて、南米の大国ブラジルを思い浮かべる人も少なくないだろう。国旗に記された「国是」である。
 もっとも、それは単なる理想に過ぎず、現実はカオス一色。いまもってブラジル社会には、そうした負のイメージが根強くある。

 実はセレソン(ブラジル代表の愛称)も、長く『秩序と混沌』の狭間で揺れ動いてきた。そして、四半世紀に及ぶ試行錯誤の末に、ようやく一つの決着をみる。最後のワールドカップ制覇から24年。秩序と進歩を体現する新しいセレソンが、そこにいた。

『メーキング・サッカー・ヒストリー』(サッカーの歴史を築く)

 そうしたスローガンを打ち出す「サッカー不毛の地」でワールドカップが幕を開けた。1994年のアメリカ大会だ。

 アメリカという巨大マーケットの開拓を企むFIFA(国際サッカー連盟)の商業主義は、肝心の「商品」の質を損ねる危険をはらんでいた。端的に言えば「時間と空間」のリスクである。

 まず、多くの試合が白昼に開催された。テレビの視聴率を稼ぐため、ヨーロッパのプライムタイムに合わせたからだ。結果、殺人的な暑さが、多くのチームを骨抜きにすることになった。

 第2に、過酷な長距離移動だ。東のニューヨークと西のロサンゼルスの時差は3時間。距離にして約3500キロメートルである。これに、別天地を思わせる気候の違いが重なった。

「東西のワールドカップ」

 イタリアの名将アリゴ・サッキは、そう呼んだ。この時間と距離の「格差」が、タイトルの行方に微妙な影を落とすことになる。
 時間と距離の負荷を、どこまで減らせるか。組み合わせを含む、運をも味方につけた強者が大会のメインキャストに躍り出る。本命ブラジルだった。

理想と現実のバランス

 1994年と言えば、サッカーの戦術史における転換期にあったと言っていい。
 前線から敵に圧力をかけていく新しい守備戦術の流行だ。俗に言う「プレッシング」である。

 自陣に細かい防御の網を張りめぐらせて球をかすめ取るパッシブな戦法から、前のめりで球を奪いに行くアクティブな戦法へ――。言わば、守備のイノベーションが起きたわけだ。

 この「前進守備」を機能させるには、相応の体力や走力が必要になる。つまりはハードワークだ。しかし、効率良く球を奪うチャンスが広がる反面、燃費が悪い。

 アメリカ大会では、例の酷暑という悪条件の下で早々と体力を失い、オーバーワークに陥るチームが続出した。しかも、FIFAの商魂が生んだ「真昼の決闘」となれば、それも当然と言えた。
 こうした状況下で「利」を得たのが、王国ブラジルである。彼らは、流行のプレス戦法に目もくれず、独自路線を貫き、大会に乗り込んできた。

 攻と守、伝統と革新、カオスとコスモス――。カルロス・アウベルト・パレイラ監督が求めたのは積年の二項対立にピリオドを打つ「バランス」だった。

 1970年大会で優勝に導いたマリオ・ザガロ(テクニカル・ディレクター=TD)という名参謀を得て、理想と現実の折り合いに苦しんできたセレソンの再解釈を試みる。
 その結論が、プラグマティック(実用的)な新システムの導入だった。

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