上写真:数々の困難を乗り越えての連覇。宮本(中央)が優勝カップを掲げた直後、選手たちの盛大な水かけが始まった
写真◎BBM

 現地時間1月5日にUAE(アラブ首長国連邦)で開幕するアジアカップ。森保一監督率いる日本代表は9日のグループステージ初戦を皮切りに、2大会ぶり5回目の優勝を目指すことになる。そこでWEBサッカーマガジンでは特別連載として、史上最多となる過去4回の優勝を大会ごとにプレイバック。第3回は、『完全敵地』の重圧や数々の苦境を乗り越えて連覇を達成した、2004年の中国大会を振り返る。

重慶の観客の大ブーイング

 2002年の日韓ワールドカップ(W杯)後から日本代表の指揮を執ったジーコ監督は、03年のコンフェデレーションズカップや多くの親善試合を経て、06年ドイツW杯に向けたチームづくりを進めていた。しかし04年2月にドイツW杯1次予選が始まると、最初の2試合は勝利こそしたものの、ともに低調な内容で大苦戦。国外クラブに所属する『海外組』の選手を重用し、Jクラブ所属の『国内組』が少ない起用法も含めて、指揮官への批判が強まった。

 だがその後、同年4月の東欧遠征、5月のイングランド遠征の計4試合を経てチーム状態が上向き、W杯1次予選も第3戦はインドに7-0で快勝。7月末から中国で開催されたアジアカップで連覇を達成できるか注目されたが、大会が始まると、ライバル国以外の思わぬ障害が立ちはだかる。

 オマーンとのグループステージ初戦の試合前、君が代の演奏が始まると、開催地・重慶のスタジアムから大ブーイングが起こった。中国では当時、半日感情が高まっていた上に、重慶はかつて日中戦争で日本軍が爆撃を行なった地という背景もあり、地元の観客は日本への敵意をむき出しに。さらに試合が始まるとオマーンに大声援を送り、日本は『完全敵地』の状況での戦いを強いられた。

 この大会、日本は中田英寿が股関節痛、稲本潤一が左足腓骨の骨折で参加できず、小野伸二と高原直泰も、同年のアテネ五輪へのオーバーエイジ参加を優先して欠場した(高原はその後、エコノミークラス症候群の影響で五輪も不参加)。海外組は2人だけだったが、そのうちの1人である中村俊輔が素晴らしいプレーを見せる。

 オマーンとの初戦では、得意の左足でテクニカルなミドルシュートを決めて決勝ゴール。タイとの第2戦は11分に先制され、タイびいきの地元観客が沸き立ったが、21分に直接FKで同点ゴールを決め、観客を静まり返らせる。この試合に4-1で勝った日本は苦しみながらも連勝スタートを切り、グループステージ突破を決めた。
 
 第3戦の相手はイランで、引き分け以上ならグループ首位通過で準々決勝の相手はヨルダン、負ければ2位通過で韓国。やはり大ブーイングを浴びながら戦った日本は0-0で引き分け、ヨルダンとの準々決勝に臨むこととなった。

画像: 日本の攻撃をリードした中村。オマーン戦では素晴らしい個人技から決勝ゴールをマーク(写真◎BBM)

日本の攻撃をリードした中村。オマーン戦では素晴らしい個人技から決勝ゴールをマーク(写真◎BBM)

ドラマチックな勝利の連続

 この大会の日本は、試合の立ち上がりの出来が良くなかった。ヨルダンとの準々決勝も同じような展開となり、11分に先制点を奪われる。14分に鈴木隆行が決めて追い付いたものの、逆転することはできず、延長を経て勝敗の行方はPK戦へともつれ込んだ。
 
 先行の日本は、1人目の中村俊輔が大きく上に外し、相手の1人目が決めた後、2人目の三都主アレサンドロも上に外して失敗。左利きの2人が軸足を踏み込む部分の芝生が動き、ボールも動いてミスにつながっていた。ここで主将の宮本恒靖が主審にアピールし、使用するゴールを反対側に変更させたが、ヨルダンは1人目から3人連続で成功。日本も3人目と4人目は決めたが、ヨルダンの4人目が決めれば敗退という窮地に追い込まれた。
 
 だが、長く語り継がれる伝説の逆転劇が始まったのは、ここからだった。日本のもう1人の海外組である川口能活が、ヨルダンの4人目のキックを右に飛んでセーブ。日本は5人目が決め、それでも相手の5人目に決められれば敗退だったが、今度は川口が左に飛び、コースを読まれた相手のキックは枠外に外れる。
 
 サドンデスに持ち込んだ日本だが、6人目で先に失敗。相手の6人目は、3回連続で『決められれば敗退』の状況となったが、川口が左に飛んで2度目のセーブ。7人目、日本が先に決めると、相手はポストに当てて外し、劇的な逆転で準決勝進出を決めた。
 
 準決勝の相手はバーレーン。開催地は重慶から済南に移ったが、ここもかつて日本軍が占領した歴史がある地で、日本への大ブーイングは変わらなかった。相変わらず立ち上がりが良くない日本は、6分に失点。さらに40分には遠藤保仁が不可解な判定で退場処分を受け、数的不利に陥った。
 
 それでも後半に2得点を奪い、一時は逆転した日本だが、71分に追い付かれると、85分には逆転されてしまう。地元の観客は大いに沸き立ち、さすがの日本も万事休すかと思われた。だが後半終了間際の90分、三都主のセンタリングを、攻め上がっていた中澤佑二が見事なダイビングヘッドで決めて追い付く。

 これで勢い付いた日本は延長立ち上がりの93分、玉田圭司がドリブルで相手3人をかわす見事な突破から、この日2得点目となる再逆転ゴール。2試合続けてのドラマチックな勝利で、決勝に駒を進めた。
 
 連覇を懸けて戦う決勝の相手は、初優勝を狙う開催国・中国。会場の北京工人体育場は当然、地元の観客で埋め尽くされ、大ブーイングに加え、スピーカーからは録音した歓声のような『効果音』まで流れていた。ピッチ上の日本の選手たちはお互いの声が聞こえないほどの状況だったが、動じずにプレーして22分、中村のFKを鈴木がつなぎ、最後はゴール前で福西崇史が押し込んで先制点を奪う。
 
 31分に追い付かれ、1-1で後半へ折り返したものの、日本は慌てることなくチャンスをうかがった。65分には中村のCKから、中田浩二が決めて勝ち越し。焦る中国の反撃をはね返すと、後半アディショナルタイムの91分には、中村のスルーパスから玉田が抜け出して独走し、最後はGKもかわしてゴールへ。3-1で勝ち、見事に連覇を達成した。

 準々決勝と準決勝の劇的な勝利、『完全敵地』の重圧をはねのけた精神力。現地でのブーイングはスポーツの枠を超え、社会問題としても大きく取り上げられていただけに、すべてを乗り越えて頂点に立った胸のすくような戦いぶりが、ジーコジャパンの評価を大きく高めた大会となった。
 ※次回は2011年カタール大会を振り返ります

画像: 日本の選手たちの水のシャワーが舞う中、優勝カップを高々と掲げる宮本。この後にジーコ監督にカップを渡そうとした宮本に、指揮官は「それは君たちのものだ」と答え、自らは掲げなかった(写真◎BBM)

日本の選手たちの水のシャワーが舞う中、優勝カップを高々と掲げる宮本。この後にジーコ監督にカップを渡そうとした宮本に、指揮官は「それは君たちのものだ」と答え、自らは掲げなかった(写真◎BBM)

【日本代表メンバー(所属は当時)】
GK 楢崎 正剛(名古屋)
   土肥 洋一(FC東京)
   川口 能活(ノアシェラン=デンマーク)
DF 田中 誠(磐田)
   宮本 恒靖(G大阪)
   三都主 アレサンドロ(浦和)
   三浦 淳宏(東京V)
   松田 直樹(横浜FM)
   加地 亮(FC東京)
   中澤 佑二(横浜FM)
   茶野 隆行(市原)
MF 遠藤 保仁(G大阪)
   中田 浩二(鹿島)
   小笠原 満男(鹿島)
   中村 俊輔(レッジーナ=イタリア)
   福西 崇史(磐田)
   藤田 俊哉(磐田)
   西 紀寛(磐田)
   山田 卓也(東京V)
FW 鈴木 隆行(鹿島)
   本山 雅志(鹿島)
   玉田 圭司(柏)


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