上写真=左から森保一監督、杉山隆一さん、富沢清司さん、釜本邦茂さん、鎌田光夫さん、山口芳忠さん、鈴木良三さん、松本育夫さん、横山謙三さん、片山洋さん(写真◎近藤俊哉)

 10月21日、都内のホテルで銅メダルを獲得した1968年のメキシコ・オリンピックから50周年を記念するパーティーが開催された。会には世界を驚かせたメキシコ五輪の銅メダリスト9名が出席。日本サッカー史に残る偉業をあらためて振り返り、その功績をたたえるとともに2年後に迫った東京五輪に向けて、東京五輪代表の森保一監督にエールを送った。

メキシコ五輪の銅メダルが支えだった

 この日のパーティーにはメキシコ五輪のメンバー18人のうち、すでに鬼籍に入られた8名と欠席した小城得達さんを除く、9名が顔をそろえた。
 杉山隆一さん、富沢清司さん、釜本邦茂さん、鎌田光夫さん、山口芳忠さん、鈴木良三さん、松本育夫さん、横山謙三さん、片山洋さん。
 日本サッカー界のレジェンドが会する今回のパーティーには約300名が出席。乾杯の挨拶に立った日本サッカー協会の田嶋幸三会長は、「メキシコ五輪で銅メダルを獲得され、サッカーが本当に沸き上がって、私もサッカーをしたいと思いました」と自身のサッカーの関わりを生んでくれたこと、「70年代、80年代と日本が少し落ち込んでいるとき、そして90年代になってJリーグが発足し世界に追い付こうと目指すときに、『メキシコ五輪では世界3位になったんだ』と、できないはずはないじゃないかと常に思いながらやってきました」とメキシコ五輪の金字塔が発展の支えになったこと、そして「フェアプレー賞を取ってくださったことに感謝しています。ロシアW杯で(グループステージの)最後にセネガルと決勝トーナメントに進めるのはどちらだと争ったとき、決め手になったのはフェアプレーポイントでした。われわれはその文化というのは、メキシコ五輪から始まり、脈々を引き継いできたものです」と語り、偉業に敬意を表した。

 また、この日の祝賀パーティーには『アステカの奇跡から東京へ』というタイトルが付けられていた。それは2年後に迫った自国開催の五輪に向けて、レジェンドたちがエールを送るという意図からだった。

 出席した銅メダリストを代表して挨拶に立った釜本邦茂さんは語った。
 
「50年間という間、ここにおられる先輩の皆さんがそれぞれのところでサッカーの発展に尽くしてこられたと思います。私は今でも子どもたちと一緒にボールを蹴ることもあるわけですけども、これはある意味では、天命だと思っております
 私が現役を離れてヤンマーの監督をしたあと、これから一体、何をしたらいいかと。諸先輩方は会社で仕事をされていた。私も当時、ヤンマーの人事課長でございました。私もしっかり仕事をして、将来、重役にでもなろうかなと、こういうふうに思ったこともあったわけです(笑)。
 しかし、岡野俊一郎さんのところに行って、何がこれからやらなければいけないのか、とお聞きしましたら、サッカーを強くするには3つあると。その一つは普及。二つ目は強化。そして3つ目は財政だと。この3つは日本サッカー協会の指導の下で着々といま行なわれております。その一端、普及ということを私は全国を回ってやろうと思いました。もう40年近く前のことです。今も、自分がグラウンドに立てる間はやりたいと思っております。これからもみなさんのご支援をたまわりまして、やっていければなと。
 そして、日本のサッカーも、2005年宣言にあるように、W杯の決勝の舞台に立てるように頑張っていただきたい。ロシアのW杯が終わって、いよいよ新しい体制のもとで、森保監督が率いて、これから2年後の東京五輪、それからまた4年後のカタールW杯へ、突き進んでいかれる。その森保監督が来ていますので、皆さま方にご紹介申し上げます。では決意表明をお願いします」

 レジェンドの紹介で壇上に上がった森保監督は、きっぱり宣言した。「メキシコ五輪から50周年のパーティーを開催されること、誠におめでとうございます。あらためて、サッカーに携わる者として、ここにおられるメキシコ五輪で銅メダルを獲得された皆様、そしてそこに携わってこられた方々の成功に敬意を表し、尊敬の念をお伝えできればと思います。皆さんを日本のサッカー界に、貢献いただき、ありがとうございます。
 そして、ここで私が感じたこと、それはメキシコ五輪から50周年ということですが、日本サッカーは長い歴史があるということ、その歴史の中でサッカーを支援・応援して下さる方が歴史をつないでくださったから、いまのわれわれの活動があるということです。そのことを非常に強く感じております。
 いま、サッカーはプロ化が進み、Jリーグで素晴らしい環境のもとでサッカーができます。そして日本代表も諸先輩方が尽力してくださって、歴史をつないでくださって、いまの素晴らしい活動ができる。その環境があることに感謝の気持ちをもってやっていきたいと思います。
 先ほども言いましたが、A代表と五輪の監督をさせていただいております。その中で、日本のサッカーの発展を、これからもつないでいけるように頑張っていきたいと思っております。メキシコ五輪で銅メダルを取られた方々、諸先輩方の成功のヒントを今日、いただいて、これから東京五輪に向けて頑張ってまいります。
 東京五輪ではみなさんが期待していただいている、金メダルを獲得しようと思って、いま頑張っています。みなさんが見守っておられる日本のサッカーを、これからも発展させることができるように頑張ってまいりたいと思いますので、今後ともご支援、応援のほど、よろしくお願いします」

 レジェンドから確かに受け継がれたバトン。その重みを感じながらも、森保監督は「金メダル獲得」という決意を示した。2年後、メキシコ五輪で刻んだ記録を上書きされることを、レジェンドたちも強く願っていた。

取材◎佐藤 景 写真◎近藤俊哉


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