開幕25周年を迎えたJリーグがテーマのこのコラム。第3回は、第2回に続きワールドカップイヤーにおけるJリーグの重みについて、当時を知る記者が綴る。2002年日韓大会以降の歩みを振り返っていく。

文◎平澤大輔(元サッカーマガジン編集長) 写真◎J.LEAGUE PHOTOS

中山雅史と秋田豊

前編(コラム第2回)では1998年の小野伸二(浦和レッズ、所属は当時=以下同)を巡る物語を振り返ってみたが、98年フランス大会以降の4大会でもJリーグの存在がワールドカップに挑む日本代表に大きな影響を与えてきたことが分かる。

2002年のワールドカップは韓国との共同開催でホスト国となったので、予選が免除されていた。そこで、フィリップ・トルシエ監督は4年後を見据えて自らがU-20代表、オリンピック代表も率いることで選手の成長とともに本大会を目指した。いま思えば斬新だが画期的で、膨大な時間を贅沢に使うことができたと思う。

U-20代表を世界2位、オリンピック代表を8強に導いた成果を基にしたために、メンバー選考は予定調和ではあった。それでも2002年のJリーグでトルシエ監督が探し抜いたのは、勝つための最後のピースだった。

それが、鹿島アントラーズのDF秋田豊とジュビロ磐田のFW中山雅史である。

若く威勢のいいメンバーが中心のチームは得てして道を見失いやすい。トルシエ監督はそれをよく分かっていた。あのチームには、二人のベテランのサッカーに対する純粋な「熱さ」が必要だったのだ。秋田も中山も、1998年を予選から経験していて、かつJリーグで名勝負を繰り広げていた。僕はトルシエ監督の采配については否定的なこともあったが、この2人を選考したことについては拍手を送ったことを覚えている。

こうしてこの大会で、日本は初めてワールドカップでの勝利を手にして、ベスト16に進出している。

2006年は日本が初めて迎える「フラット」なワールドカップだったと思う。初出場だからこそのカオスに巻き込まれることもなければ、自国開催だからこそのお祭り的な熱狂に躍らされることもない。選手は飛躍的な成長を遂げ、2大会分の経験を備え、日本サッカーが一つの成熟の季節を迎えた…はずだった。

ご存知の通り、選手同士の分裂がのちに明らかになったチームは勝つすべを失い、1分け2敗という結果以上の惨敗でいろいろなところに傷を残した。遠因になったのが「海外組」と「国内組」だった。

ジーコ監督の方針や実力の面から、ポジション争いの序列では海外のクラブに所属していた選手が常にJクラブ所属の選手より上位にあった。次第に一部の国内組のメンバーからため息が漏れ伝わってくる。彼らからすれば、健全なポジション争いの機会を奪われたままだったと憤慨したのだろう(もちろん、他にも理由があったが、ここでは割愛)。

とはいえ、海外組がメンバー入り確定となると、残りの枠を巡ってJリーグでの戦いが熱を帯びてくる。最終的には、規格外のFW久保竜彦(横浜F・マリノス)のコンディションがついに整わずに選考外になるとFW巻誠一郎(ジェフユナイテッド千葉)が加わり、直前のテストマッチでDF田中誠(ジュビロ磐田)が負傷すると、DF茂庭照幸(FC東京)がチームに駆けつけた。メンバー入りの可能性は最後まで分からないのだ。

阿部勇樹という信頼感

2010年の場合は2002年の秋田、中山と同じような役割を期待されて、GK川口能活(ジュビロ磐田)が選ばれている。ほかにはDF岩政大樹(鹿島アントラーズ)、FW矢野貴章(アルビレックス新潟)も意外な選出として話題になった。

戦略的な見地から考えると、MF阿部勇樹(浦和レッズ)の存在が大きいかもしれない。代表では決してレギュラーではなかったものの、本大会直前で岡田武史監督は戦略の変更を決断、それに伴って選手の起用を再考した。

一般的にはMF中村俊輔(横浜F・マリノス)に代わってMF本田圭佑(CSKAモスクワ)を先発起用する大ナタが振るわれたことが強く記憶に残るが、チームの安定をもたらしたのは阿部の方ではないか。4-1-4-1システムを基本布陣として採用し、守備を整理できたのも、最終ラインの前に位置するアンカーをこなすことのできる阿部がいたからこそだ。

阿部は所属の浦和ではダブルボランチの一角としてプレーしてきたが、さすが頭脳派だけに、急造アンカーの役割もそつなくこなした。グループステージの第3戦・デンマーク戦ではそれまでの2試合からシステムを変えたためにダブルボランチの一人としてスタートしたのだが、実際に試合に入るとうまく回らなかったために、選手が岡田監督に進言し、元の4-1-4-1に戻したことで勝利を手繰り寄せたというエピソードがある。

これも「アンカー阿部」への絶大な信頼があってこそだっただろう。こうして2002年大会以来のベスト16進出を果たす原動力となった。そして阿部は、大会後の9月にレスター(イングランド2部)への移籍も勝ち取ることになる。

直近の大会となる2014年は惨敗の苦い記憶ばかりが思い起こされるが、登録23人中、海外組が12人と過半数を超えた初めての大会でもあった。そのため、アルベルト・ザッケローニ監督も当然のごとく海外組を重用したが、ジーコ監督の頃と時代も人数が違うわけで、国内組からの目に見える反発は少なかった。それが逆に物足りなさを感じさせたものだ。

そんなモヤモヤを吹き飛ばすようにJリーグでゴールを連発したのが、FW大久保嘉人(川崎フロンターレ)だった。この年のJリーグでも絶好調で、14試合で8得点と決定力を認めさせて直前で代表復帰している。

MF本田圭佑(ACミラン=イタリア)をはじめとした個性的なメンバーの中に、さらに個性派の大久保を加えることを危惧する向きもあったが、ザッケローニ監督はその得点力を買った。本大会では初戦のコートジボワール戦は67分からの出場だったが、続くギリシャ戦、コロンビア戦はフル出場。所属するクラブやリーグがどこであれ、のし上がっていく心意気は健在だった。

そして、2018年である。

2014年の頃以上に海外のクラブでプレーする選手が増えた。一方で彼らは、試合に出られないリスクを抱えているわけで、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督のポリシーからすると、彼らが必ずしも選ばれるとは限らない。だからこそ、Jリーグでプレーを続けている選手たちの戦いは激しさを増すというものだ。

ハリルホジッチ監督は5月31日にメンバーの発表を行なうと話す。残りは2カ月ほど。まだ、時間は残されている。


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