上写真=8月20日にアウェーのレッチェ戦を控える鎌田大地。新天地でアピールを続ける(写真◎Getty Images)
試合に出ていないメンバーよりも努力しないのはよくない
1年生の全国高校総体(インターハイ)予選の際、鎌田幹雄(大地の父)は、「蹴ってばかりのサッカーで周りがパスをくれないから、大地がすねていた」との連絡を福重良一(東山高校監督)から受けた。大地にそれを話すと、「違う。自分のプレーがうまくいかないのが不満だった」と反論。スタンドから部員に応援されながらのプレーを初めて経験した大地は、試合に出たいのに応援してくれている部員たちの前で期待に応えられなかった自分に対し、苛立っていたのだ。
「外に向いていたベクトルが、自分に向き始めた、その一歩かなと思いました」(幹雄)
東山高校は、練習グラウンドと学校が離れているため、朝練を行う文化がなかった。しかし、大地が高校3年生になってから、BチームとCチームが校内にある土のグラウンドで朝練をするようになった。
一生懸命にうまくなろうとするチームメイトの姿を見た大地は、試合に出ている人間が出ていないメンバーよりも努力しないのはよくないと考えた。それからは、毎朝、始発電車で学校に向かい、朝練に取り組むようになった。
朝練では、ただ単にボールを蹴っているだけの選手が少なくなかったが、大地はもちろん違った。セゾンFC(滋賀県)からやってきた技巧派として知られる選手を捕まえては、ドリブルの練習方法を教わった。
大阪体育大学の選手とトレーニングを行う機会があったが、その際は、「これは使えそう」と言って、知らなかったメニューを自分のものに加えたことがある。少しでもうまくなるために、吸収できるものはなんでもどんどん吸収するスタンスは、今も変わらない。
また、放課後に行う全体練習のあとは、グラウンドの照明が落ちるまで、ボールを蹴り続けた。足におもりをつけての坂道ダッシュにも励んでいたため、家に帰るのは夜の10時を過ぎてからだった。
「自主練で遅くなると、『お前の家に泊まってもいい?』と、よく聞いてきました。僕の家でご飯を食べて、朝練やって、学校に行くというサイクルが2、3日に1回くらいありました。2人ともいつも疲れていたので、すぐに寝ていました」(中村太郎/東山高校時代のチームメイト)
そんな大変な毎日だったが、大地は、「試合に出られない選手が頑張っているから、俺もやらなければいけない」と手を抜かなかった。
誰からも愛される生徒になっていた
学校生活においても、常に一生懸命だった。日々の部活動の疲れで授業中に寝ている生徒がいる中、大地はちゃんと起きていた。体育理論の授業では、サッカー部が取り組むウエートトレーニングのメニューを率先して考えていた。球技大会では、運動が苦手な生徒と一緒にボールを追いかけた。
大地は、誰からも愛される生徒になっていた。1年生と3年生の運動部員による合同授業の際に行っていたサッカー部の紅白戦では、ほかの部の生徒が応援し、盛り上げてくれた。
幹雄には、うれしい思い出がある。サッカー部の卒団式で、こんなことがあった。
「Cチームの子の親御さん2人が僕のところに来ました。『(練習が)厳しかったので、うちの子はサッカー部をやめようと思っていました。でも、キャプテンの大地君が一緒に頑張ろうと言ってくれたおかげで、最後まで続けられて、きょう、ここに来ることができました』と涙ながらに話してくれたんです。
以前だったら、Aチームのレギュラーにしか興味がなかった人間が、そういう人とも関われるようになりました。一緒に朝練していたんでしょうね。人としての幅が広がったように感じました。今も、日本に帰ってきたら、Aチーム以外の子も集まってくれます。頑張れる力を福重先生にもらったのかなと思います」
卒団式に行く前には、「お世話になりました。おとうさん、おかあさん、好きなものを買ってください」と、加入先であるサガン鳥栖からの準備金全額を幹雄に渡した。
「『そんなのいらない』と返したのですが、あいつなりの気持ちだったと思います。『親孝行したい』と今も言ってくれます」(幹雄)
大地にとって、東山高校での3年間は特別な時間だった。だからこそ、鳥栖への合流予定をわざわざ遅らせた上で、卒団式の途中まで参加したのである。