上写真=先制した日本だったが韓国に悔しい逆転負けを喫することになった(写真◎Getty Images)
早期の登録で難しかったメンバー選考
大会名が「2022」になっていることからもわかるように、本来は昨年に行われる「はず」だった大会で、コロナ禍による1年の順延を経ての開催だった。多種多様な競技が行われるアジア大会でこの延期の影響は大きく、多くの競技が同時期に開催されているワールドカップや世界選手権といった重要な大会とバッティングすることとなり、いわゆる“ベストメンバー”の派遣を断念している。
女子サッカーも女子ワールドカップが開催直後ということで、そのメンバーは原則招集外に。唯一、千葉玲海菜(ジェフ千葉レディース)が連続招集となっているが、これも負傷者が出る中での選出で、元々は選ぶ予定がなかったのだそうだ(エース格の千葉が『15番』を付けていた理由でもある)。
一方、男子サッカーはと言えば、元よりFIFAのインターナショナルマッチデーと関係ないタイミングで開催され、アジアカップのように大陸選手権として指定されているわけでもない大会である。かつての大らかな時代は各国のA代表が名を連ねていたが、2002年大会から「U-23+オーバーエイジ3名」という五輪相応のレギュレーションで実施される大会となっている。
日本はまだA代表の大会だった1998年大会から五輪代表を送り込むようになっており、それはU-23化されてからも変わりはない。ただ、昇降格のなかった大らかな時代が終わり、クラブの発言力も高まる中で、五輪世代といえども、フルメンバーの派遣は難しくなった。“関塚ジャパン”が参加した2010年大会からは「大学生+Jクラブの控え選手」を多数含むオーダーになっており、この大会で金メダルを獲って面目が立ったこともあり、こうした流れが定着した。
5年前の2018年大会は「東京五輪への強化」という名目があったこともあり、1クラブ1名の縛りはありつつも、海外組を除いてかなり強力なメンバーが編成された。上田綺世、三笘薫、板倉滉といった選手たちは、その年に行われたトゥーロン国際大会にも名を連ねている選手であり、「アジア大会だから選ばれた」選手たちではない。一方で、当時の旗手怜央などは、アジア大会だからこそメンバー入りした選手だった。
それと比較すると、1年の延期を経た今回は、バーレーンで行われたAFC U23アジアカップ予選(つまりパリ五輪のアジア1次予選)と日程がほぼバッティングしてしまい、2チーム編成にせざるを得なかった。この状況は「アジア大会ならでは」といういより、「今回だからこそ」のものだった。
元々アジア大会には他競技との兼ね合いから「予備登録が5月から6月にかけて締め切られる」(大岩監督)というサッカーでは考えられない縛りもあり、このときから「アジア大会に選べる選手は誰か」「アジア予選に必要な選手は誰か」という視点で慎重な選考が行われている。
一般的に予選組が「1軍」で、アジア大会組が「2軍」のような理解のされ方をしているように感じるが、これは必ずしも正確ではない。大岩監督は明言を避けているが、あえてアジア大会に「残した」と思われる選手もおり、また逆もあったと思われる。というのも、予備登録が早々に終わる関係で、5月以降に台頭したり、評価を高めた選手たちは、そもそもアジア大会の予備登録に入ってもいないのだ。
この予備登録は選手招集に全面協力を約束してきた大学サッカーの選手たちがそもそも多くなった。また契約交渉などを通じて所属クラブと代表招集に関する合意を得ている選手たちも有力候補だ。逆に言えば、こうした合意を得られていない選手たちは、「2軍」相当の実力者であってもメンバー入りは不可能。したがって、大岩ジャパンのラージグループにおいて、上から23人が予選に出て、それに続く22人がアジア大会にエントリーした……というわけではない。
アジア大会には、候補合宿にすら呼ばれていない選手たちが多数参加していることからもそれは明らかだろう。U-16から豊富な代表歴を持ち、主将を託されたDF馬場晴也は「半分くらい知らない選手だった」と笑って言うように、おそらく世間で思われている以上に即席チームの色合いが濃かった。
ただ、だからこそモチベーションは高かった。
今大会を取材していて、選手たちから最もよく聞かれた言葉は「チャンス」だったように思う。「ラストチャンス」と話す選手もいれば、「やっと来たチャンス」という言い方の選手もいたが、彼らにとってみれば、自分に対する大岩監督の見方を変えて、パリ五輪メンバーへと食い込んでいく「チャンス」。それはサッカー人生を切り開く「チャンス」という見え方でもある。
最初はトレーニングを観ていてもぎこちなさがある奇妙な雰囲気で、初招集のMF日野翔太(拓殖大)は「最初、Jリーグの選手に話し掛けづらかった」と率直に振り返る。だが、そんな空気も大会の進行と共に変化。MF角昂志郎(筑波大)が「試合を重ねてサッカーの話を繰り返すうちに打ち解けられた」と語るとおりのチームワークが発揮されるようになった。
決勝戦を前に馬場は「今までやってきた代表活動の中で、一番チームとしての成長を感じられた」と語っているが、これは偽らざる本音だろう。指揮官もまた、「思っていた以上に付いてきてくれて良いチームになれたと思う」と手応えを話している。特に選手たちが「本当に強烈だった」と口々に話した北朝鮮代表との準々決勝を勝ち切ったことは、チームに特別な一体感を与えることとなった。
悔しさを財産にできるかどうか
決勝で当たった韓国との間に「差」があることは大会前から分かり切っていた部分である。金メダルなら兵役免除という恩典が得られる韓国は、イ・ガンイン(パリ・サンジェルマン)ら欧州の第一線でプレーする有力選手も招集し、オーバーエイジ枠もフル活用する陣容は、明らかに超アジア大会級のもの。前回大会もソン・フンミンを擁するスーパーチームを編成したが、それに負けず劣らず、必勝の陣容だった。
日本に例えて言えば、アンダーエイジでGK大迫敬介、DF菅原由勢、藤井陽也、伊藤洋輝、MF久保建英、FW中村敬斗を招集しつつ、オーバーエイジにMF伊藤敦樹、FW上田綺世、西村拓真を起用したくらいの陣容である。タイトルへの気合いの入り方がちょっと別格なのがわかってもらえるだろうか。
ただ、まさにこの相手だからこそ、日本の選手の目的意識にも繋がった。パリ・サンジェルマンの選手と戦えるのだから、「そこを上回れば俺の評価も上がる」(佐藤恵允)というのもフットボーラーとしての自然な感情だ。今回のファイナルには、そうした意味づけが生まれていた。
結果から言えば、スコア以上の完敗だった。立ち上がりの先制パンチが決まったことで勝負に持ち込めてはいたが、「力不足でした」と佐藤が率直に振り返った通り、「差」を痛感する機会の多い試合だった。
真っ向勝負を選択した大岩監督にとって、選手たちが「差」を痛感するエンディングになったことは決してネガティブなことではないのだろう。勝つことだけを考えれば違う采配もあり得たように思うが、指揮官は「まずは自分たちがやってきたことを出し切ってこそ」と繰り返し強調して臨んだ。
実際、決勝では「絶対に勝てないというほどの差はない」(DF奥田勇斗=桃山学院大)という感覚もありつつ、大観衆の作る雰囲気にのまれてしまった部分も含め、経験不足と実力不足の双方を感じさせる内容だった。
大岩監督の言葉を借りるまでもなく、この場で痛感した材料をどう生かすかどうかはそれぞれの選手次第となるのだが、個人的な感触としては、高いモチベーションで代表活動に取り組んだ選手たちが得た財産は大きなもので、彼らのキャリアにポジティブな影響を及ぼす気がしてならない。
来年の五輪へ向けた強化は当然の主題ではあるのだが、今回の代表は「投資」の意味合いも大きかった。DF関根大輝(拓殖大)、根本健太(流通経済大)、今野息吹(法政大)、MF山内翔(筑波大)といった先発機会こそ少なかったものの、ポテンシャル抜群の大学生たちも、味わった悔しさを活かしてくれることを期待したい。
今回の22名は来年の五輪の候補になるのはもちろんだが、その先のステージでの爆発も十分ある。韓国との決勝で敗れたことでどうしてもネガティブなイメージが先行するかもしれないが、決して未来を悲観するようなチームでなかったということは、ここに明記しておきたい。
文◎川端暁彦