クラマーに怒られて先発を知る
――メキシコ五輪ではやはり開催国との3位決定戦が思い出深いでしょうか。
松本 一番の思い出は(コーチのデットマール・)クラマーに怒られたことですね(苦笑)。3位決定戦の前日でした。選手村で練習していて「松本、お前の後ろに何があるか分かっているか?」と言われて。周りをよく見ろという意味だったんですけど、選手村は岩山を切り崩したところにあったから「岩があります」と答えたんですよ。そうしたら「バカ、そんなこと聞いてない」って(笑)。でも怒り方がいつもと違うから「ああ、これは明日スタメンだな」と思いましたね。僕にとっては、それが一番の思い出ですね。
――松本さんは初戦、ブラジル戦とスタメンで、フランス、ハンガリー戦では外れていました。
松本 渡辺さんと代わってね。3位決定戦では守備的な戦いを考えなければいけないので、僕は守備の方でも貢献できるからと。でもそれで渡辺さんを中盤で使ったのにはびっくりしました。それまでそんなことはなかったから。
――まだその段階ではメンバーは言われていないんですね。
松本 当日ですから、メンバー発表は。でも、怒られて覚悟ができたっていうか。自分ものちに指導者になって分かりました。使おうと思った選手への気持ちの持っていき方というものがあるからね。
杉山 僕も試合そのものも思い出深いですが、クラマーさんとの練習も印象に残っていますね。それまでの合宿で毎日練習のあとに、パス・アンド・ゴーからのセンタリングを200本やらされて、「何だ、このオヤジは」と思っていましたから。でも、それが本番で花を咲かせたわけです。
――メキシコ戦との3位決定戦での2アシストは、どちらも釜本さんが見えていたんですか。
松本 あれは完全に見えていたね。特に2点目なんかは。
杉山 そうですね。2点目のシュートは「ミスキックだった」と釜本は言うけどね。でも、2点とも結局、右足でアシストしているんですよ。自分は左利きのように思われているけど、それは200本の練習のおかげで、本当は右利きですから。
釜本 僕が印象に残っているのは初戦(ナイジェリア戦)かなあ。東京オリンピックからメキシコ・オリンピックにかけて、点を取るっていうことが仕事で、本番の第1戦で早い時間で1点を取れた。そのことで肩の荷が降りましたから。みんなそうだと思うけど緊張感もありましたし、やっぱり第1戦を勝つということが、グループリーグを突破するためにとても大事ですからね。
松本 初戦は大きかったね。そこで乗れた部分はありました。
――そしてブラジル戦に引き分けたあと、グループステージ3戦目のスペイン戦を0―0で引き分けます。「もう点を取るな」という指示があったのは本当なのですか。
松本 本当ですよ。決勝トーナメントの相手を地元のメキシコは避けたいからと。だからベンチから一番遠いサイドにいた隆さんが「なんだよ、そんなことあるか」って言っていたんだよ。(湯口)栄藏が入って来て「隆さん、(点を)入れちゃいけませんよ」と言っていたの。
釜本 だって杉山さんがバーンってシュート打ってポストに当たった場面があったでしょう。それを僕がボカーンって外へ蹴り出した。そしたら「お前、何やってんだ」と言われてね。「いや、入れたらアカンって言ってますよ」って言い返しましたよ(笑)。この夏にあったロシア・ワールドカップのポーランド戦で、日本がボールを回して時間を使ったでしょう。あれはよう分かるんですよ。まずグループを突破しなければいけないわけだからね。
――ワールドカップの話が出ましたが、てい談の最後にぜひ聞かせてください。現在の日本サッカーについて。
松本 そもそも外国人の監督を呼んだことが間違いでしたね。これまで9人の外国人指導者が来ているけれど、僕が認められるのはクラマーと(イビチャ・)オシムだけ。今回、監督も森保一に代わってチームもずいぶんと変わってきましたよ。ようやく落ちついて日本人の考えでやっていこうとしているので非常に楽しみに思っています。
釜本 同感ですね。
杉山 今の選手は海外へ出ているので、国際経験を積んでいるから物おじをしないですよね。僕らのときはそう言うのがなかったから名前負けしたところもある。それが今はない。この違いは大きいよ。
釜本 この間のウルグアイ戦(2018年10月16日)でも、日本でプレーしているのが2人だけでしょ。9人が海外組。でも、プレミアリーグやブンデスリーガであればもちろんだけど、オーストリアだとか、ポルトガル、オランダ、ベルギーであろうが、やはり試合に出ている選手だから活躍できる。そう考えると、出られるところに行かないとだめだね。
杉山 確かにね。あとは、この間は攻撃的なサッカーができたけど、どういうレベルのチームとやってもああいうサッカーができれば、と期待したい。見ている方みんなが面白いと思ったんじゃないかな。
釜本 あれが逆に3―4とかで負けていても、ああいうサッカーをやっていればいいと思いますよ。勝ったからなおいいんだけど、攻撃的にやるってことが大切だから。
――2020年は64年大会以来の東京でのオリンピックです(※1年延期して2021年に開催)。2度目の東京五輪への期待はいかがでしょう。
松本 それは森保監督に期待したいよ。
釜本 監督もありますが、やっぱり選手たちにかかっていますよ。
松本 かなりタレントがそろっているということだから、それを指導者がどう育てる、導くか。メダルに届くところへ行けるんじゃないかと、僕は期待していますよ。
――それこそ、メキシコ五輪以来のメダルになります。
杉山 そうそう。そうなってくれれば。
釜本 そうなれば、本当にうれしいですよ。
松本 歴史を塗り替えてほしいね。
かまもと・くにしげ◎1944年4月15日生まれ、京都出身。山城高から早稲田大に進み、日本リーグ(JSL)のヤンマーに入団。圧倒的な得点力を誇り、251試合202得点を挙げた日本を代表するセンターフォワード。日本代表には大学時代に選ばれ、メキシコ五輪では銅メダル獲得の原動力となる。アジア人で初めて得点王にも輝いた。キャリアの晩年はプレーイングマネジャーとして活躍し、84年の現役引退後はG大阪や藤枝MYFCで監督を務めた
すぎやま・りゅういち◎1941年7月4日生まれ、静岡県出身。清水東から明治大を経て、三菱重工に入団。大学浪人中にA代表デビューを果たし、明治大在学中に東京五輪に出場。チームを8強に導く原動力となった。メキシコ五輪ではスピードに乗ったドリブルとテクニックでウイングとして5アシストを記録し、その名を世界に轟かせている。74年に現役引退した後、ヤマハ発動機の監督となるが、75年に現役復帰。監督兼選手として2年間プレーし再度引退した
まつもと・いくお◎1941年11月3日生まれ、栃木県出身。宇都宮工から早稲田大に入学し、63年には26年ぶりの天皇杯優勝を成し遂げた。卒業後は東洋工業に入団し、65年に創立された日本リーグで4連覇を達成。代表には大学時代に選出され、ケガで東京五輪は出場できなかったものの、メキシコ五輪で活躍。銅メダル獲得に貢献した。現役引退後は東洋工業で監督を務めたほか、ユース代表で多くの選手を指導し、Jクラブでも川崎Fや鳥栖、栃木で指揮を執った