U-24日本代表の活動に戻ってきた原輝綺は、オンライン取材の中で負傷してからここまでの道のりについて、そしてオリンピック本大会への思いを語った。利便性を高めた自身の成長をアルゼンチンとの2試合にぶつける。

上写真=2019年11月以来、久しぶりの代表活動となった原輝綺(写真◎サッカーマガジン)

焦り、諦め、歩み、つかんだ代表復帰

 2019年11月17日、原輝綺はU-22日本代表の一員としてU-22コロンビア代表との強化試合に臨んだ。その1週間後のことだった。予期せぬケガに見舞われる。J1第32節、アウェーの名古屋グランパス戦で足首を負傷。腓骨(ひこつ)骨折と靱帯(じんたい)断裂で全治3カ月との診断を受けた。

 当時の思いについて原は「骨折して、その日のうちに病院に行って、全治を一番最初に聞いて、3カ月くらいだと。(五輪に)ギリ間に合うか、間に合わないかという中で焦りながらリハビリして、今度は別の場所が痛くなった」と振り返った。そして全治までの期間がさらに延び、「ケガしたときは焦りしかなかったですが、別の場所が痛くなって、間に合わないとなった瞬間からは、まずは自分のコンディションを戻すことに専念しようと切り替えました。焦りと諦めと言ったら変ですが、そういうことが頭の中をぐるぐるしていました」と状況を回顧した。

 東京五輪は開催が決まってから「目標にしてきた場所」だった。落胆は大きかったに違いない。それでもと足を前に踏み出し、コンディションを戻すことに注力した原にとって、再び予期せぬことが起こる。五輪が1年延期されることになったのだ。

「個人としては五輪のことだけを考えるとチャンスが回ってきた。良かったという言い方は、世の中を見るとできないかもしれないけど、五輪だけを見たときには、まだチャンスがあるなと感じました」

 昨季、復帰後は鳥栖で複数のポジションでプレーしてプレーの幅を広げ、今季は清水に移籍して、そのプレーに磨きをかけている。今回の招集はケガから復帰し、パフォーマンスを高めてきたことを評価されてのものだろう。

「ポジションによって役割は変わってくると思うし、その中でも、人と人とをつなげるということにフォーカスしてやりたいと思っています。これと言ったポジションが定まっていない難しさはありますが、どこで出てもまずは人と人とをうまくつなげながら、攻守でうまくやれたら」

 自身の武器を今回の合宿で最大限発揮するつもりだ。

「骨折してから長く時間が経っていて、自分のコンディションを戻すことを第一にやってきました。五輪前に、(昨年の)12月は呼ばれていないので、今回呼んでもらってチャンスもらえて良かったと思います」

 ようやく本大会のメンバー入りへ、直接的なアピール機会を得た。ため込んだ五輪への思いと、積み重ねてきた努力を、アルゼンチン戦で表現する。