上写真=11月22日、都内のホテルで『釜本邦茂、お別れの会』が行われた
日本が世界でもやれると示してくれた
日本史上最高のストライカー、釜本邦茂さんを偲ぶ『お別れ会』が都内のホテルで行われた。弔辞を述べた元日本代表のGKでメキシコ五輪では銅メダル獲得に貢献した横山謙三氏は「出会いは今から65年前、とてつもないシュートを打つ、京都弁の高校生がいた」と最初の印象を語り、「日本がワールドカップで優勝するためには自分を超える選手が必要だ」と話していたと盟友が日本サッカーの将来に期待を持っていたと明かした。
ご子息の達生さんは、釜本さんが団長を務めた2006年ドイツ・ワールドカップ時のエピソードを紹介。選ばれたメンバーの中には宮本恒靖(現JFA会長)、大黒将志ら釜本サッカー教室の教え子たちが多くいて、「普段、あまり喜ばない父がうれしそうでした」と振り返った。
また、お別れ会に参列した日本代表の森保一監督は「我々の夢でもあるような方だったので、いまは淋しい思いでいます。釜本さんには選手としても指導者としても、いろんな立場で日本のサッカーを引っ張っていただきました」と感謝をを示した。さらに「特にメキシコオリンピックで銅メダルを取って、世界でも日本はやれるんだ、勝っていけるんだということを示してくれた本当に偉大な方。我々後輩として、釜本さんたちが成し遂げた以上のことを、我々が超えていけるようにやっていかなければいけないと、今日のお別れ会で強く感じました」と、先人たちの歴史をしっかりとつなぎ、更新する強い決意も口にした。
この日は同じ時代に日本のスポーツ界を盛り上げた王貞治氏さんも参列。お別れ界終了後に取材に応じ、「同じような時代に釜本さんはサッカー界で大変活躍されて、当時はニュースになる部分ではやっぱり野球の方が多かったですが、釜本さんのプレーは本当に素晴らしかったと。ただ点を取るだけではなく、プレーぶりそのものがファンを引きつけた。そういう人でした。サッカー界で言えば、30年ぐらい早く生まれちゃったのかなと。現在のJリーグで活躍していれば、もう大変なスーパースターだったでしょう。野球では長嶋(茂雄)さん、サッカー界には釜本さん、そういう存在になったんだろうと思っています」と思い出を語った。