上写真=現役引退会見に臨む川口能活

 元日本代表で、現在はJ3リーグでプレーするGK川口能活が11月14日、神奈川県相模原市内で引退会見を行なった。

「ピッチ内外でベストを尽くした」

 多くの報道陣が詰めかけた会場で、川口能活は引退発表の際にもコメントしたとおり、家族や恩師、関係者などに感謝の言葉を述べて、会見をスタートさせた。

 定位置を確保できないこの2年ほど、引退は頭の中にちらついていたという。そうした状況で、日本代表が8強進出にあと一歩と迫ったロシア・ワールドカップや、年代別代表のアジアでの戦いぶりを見て、「僕がプレーしていたよりも上のレベル、世界で戦えるサッカーになってきているなと思った。その状況で日本のサッカーに、選手としてではなく違った形で貢献したいという思いが強くなりました。それで、引退する覚悟を決めました」と、決断に至った理由を語った。今後は指導者を目指すという。

 川口のプレーには印象的なものが数多いが、なかでも本人の記憶に残っているのが、ブラジル代表との戦いでの2つの場面だという。1996年アトランタ五輪でのロベルト・カルロスのシュートに対しては、「正直に言って、キャッチできると思わなかった。トレーニングで、マリオコーチがとにかくキャッチしないと終わらせてくれなかった。あのトレーニングの賜物」と振り返った。もう一つは、2006年ドイツ・ワールドカップでジュニーニョ・ペルナンブカーノから受けたシュート。「少しでも指の位置がずれていたら、もしかしたら指(の骨)が折れていたかもしれない。それぐらい強烈なシュートだった」と話した。

 まだ体が動くという自負はあり、「完全燃焼したかと言えばまだ余力はある」という。だが、「ピッチ内外でベストを尽くしてきてこの決断に至ったので、後悔はしていませんし、次のステップに行くという強い意思はあります」と前を向く。

 川口は清水商高(現・清水市立桜が丘高)で全国高校選手権優勝を達成。1994年に横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に入団し、翌95年にJリーグ優勝を果たした。1996年にはU-23日本代表としてアトランタ五輪に出場。『マイアミの奇跡』と呼ばれるブラジル代表撃破の立役者となった。

 2001年にはイングランドのポーツマスへ移籍。デンマークのノアシェランを経て2005年にJリーグに復帰すると、ジュビロ磐田、FC岐阜、SC相模原でプレーした。

 ストイックさでも知られたGKは、これまでの歩みで自身に満足することはなかった。

「今まで一度も自分が完成形に近づいたと思ったことはなかったので、指導者になったときに、そういう選手を育てたいなと思います」

 日本を代表する守護神は、そう次の夢を語った。

取材◎杉山孝