稀代のワンタッチゴーラー。佐藤寿人が2020年シーズン限りで引退し、12月26日に引退会見を行った。「21年間、幸せでした」という長い現役生活で手にした、語り尽くせないほどたくさんの思い出を胸に、ピッチを去った。

上写真=涙もこぼしながら言葉をつなぐ。佐藤寿人が引退会見で21年の現役生活を振り返った(写真◎ジェフユナイテッド千葉)

もうパスをもらうことはできない

「すでに、ボールが蹴りたいな、サッカーしたいな、という思いがあるので、引退した実感が湧いていません」

 12月20日の明治安田生命J2リーグ最終節からおよそ1週間、引退の実感を問われると、つい本音を漏らして笑わせた。佐藤寿人が引退した事実はファン・サポーターだけではなく、本人もまだまだのみ込むには時間がかかるのかもしれない。

 12月26日の引退記者会見では、これまでと同じように、真摯に真っすぐに、ときに笑顔で、ときに大粒の涙をこぼしながらも言葉をつないで、21年間の現役生活を振り返った。

「一番の引退の決め手は、選手としてピッチの上で貢献できていないと感じていて、決断しなければいけないと思って決めました。体に痛いところはないし、やろうと思えばやれる状態ですが、毎試合ピッチに立って貢献できているかと言えばそうではないし、監督が目指すサッカーでフォワードとして結果を出していないので、来季プレーするのはプロとしてどうなのか」

 そんな思いで決断を下したという。

 最後の試合となったのは、J2最終節のギラヴァンツ北九州戦。84分からピッチに入った。

「自分が最後にピッチに入るときに純粋に点が取りたいと思いました。でも、自分は取りたいけど最終戦なので勝ちきりたかった。2-1と1点差だったのでボールを保持してリスクを冒さすに時間を進める判断があって、勝利とゴールとの難しい葛藤もありましたけど、勝って終わらなければ意味がないと思って、ピッチに入るときにはゴールよりもチームが求めることをその一員としてやろうと思いました」

 最後までプロフェッショナルとして戦い抜いた。

 21年間という長いプロとしての日々で、最も意識してきたことについての言葉が、深い。

「ライバルを作らないことが大事かなと思います。いろいろなクラブで、いろいろな場所でプレーさせてもらって、ときにはこの選手がライバルと言われて意識してしまう場面を見てきていたので、常に自分と向き合って、自分がどうしたいのかが分かった選手が最終的に強くやれるのかなと思います」

 つまり、誰かと比べるのではなくて自分だけに集中することが、プロとして大切なのだということだ。

 思い出深い対戦相手は「中澤佑二さん、闘莉王、楢崎正剛さんが壁となって立ちはだかったと思います」と3人の名前を挙げた。忘れられない出来事としてまっさきに挙げたのが、悔しい思い出。「喜びもあるけれど、悔しいことも忘れられないことでもあるので、悔しさでいうと、2003年11月29日のベガルタ仙台でのJ2降格が一番です。仙台から移った広島でも2007年にJ2に降格してしまって、その2回の降格は自分にとっても忘れることのない大きな悔しさでした」といまでも心残りだという。一方で「一番の喜びは2012年の広島での初優勝と得点王ですね」と初めてのJ1優勝を挙げていた。

 その広島での12年間に、J1とJ2で178ものゴールを記録してきた。相棒として「ベストパートナーは青山敏弘以外に考えられませんね」と感謝を捧げる。

「たくさん思い出深いゴールはありますが、初優勝した2012年のホームの札幌戦で決めたゴールですね。本当に初優勝への重圧がすごくて、普段の生活でも人に会うのを避けるような形で。その中で札幌戦の試合前に、今日はトシのアシストからオレが決めると伝えて、本当にプレッシャーかかる試合でイメージ通りの素晴らしいパスが生まれたんです。ゴールのあとにトシに『言っただろ!』っていう声をかけながら両手でハイタッチしたのはよく覚えています。あのゴールに代表されるように素晴らしいパスを、同じ絵を持って、たくさんトライしてくれた青山選手は一番のパートナーと思ってます」

 引退を報告したときは、2人で泣きじゃくったという。

「11月の頭にクラブに引退を伝えた日、クラブハウスに着いて車の中で電話をして伝えました。彼も泣いてくれて僕も涙が止まらなくて、1時間ぐらい泣きながらしゃべっていました。それだけの時間を共にした仲間ですし、素晴らしいパートナーなので、自分がやめるということを決断した以上、もうパスをもらうことはできないのは寂しいなという思いがありました。誰よりも要求して誰よりも応えてくれてたくさんのゴールを作ってくれました。感謝しかないですね」

 J1、J2のリーグ戦トータルで220ものゴールを決めることができたのは、最高の武器があったから。

「自分一人で得点を奪うというのはなかなか難しいけれど、仲間とイメージを共有してチャンス作って奪うのは武器でしたし、生命線として練習からイメージを共有してきました」

 今後はその経験を後進に伝えていきたいという。

「ストライカーというポジションは孤独ですが、しっかり力を借りなければいけないポジションです。僕の経験を伝えていければと思っています」

 孤独であることと仲間と力を合わせることは相反することではない、というストライカーの真理を、数多くのゴールで証明してきた佐藤寿人が、こうしてスパイクを脱いだ。