アルビレックス新潟に所属するDF早川史哉選手は白血病を患いながら治療に専念して、ピッチに戻ってきました。その物語を書籍として発行することになりました。共著者の大中祐二さんと編集協力の平澤大輔が語る、制作の裏側、その2。

書籍「生きる、夢をかなえる 僕は白血病になったJリーガー」の詳細はこちら

※この連載は本書の内容に触れている箇所もありますので、その点をご了解の上、お読みください。

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「映像」を介することで

大中祐二 平澤さんって、ものを書くときにどういう読者を想定していますか。もちろん、ものによって違うと思うんだけど。

平澤大輔 どうだろう…アルビレックス新潟のことを書くときには、やっぱり仲良くさせてもらっているサポーターさんの顔を思い浮かべるかなあ。今回はどうでした?

大中 もちろん、アルビレックスのサポーターや史哉くんのファンの人が一番先に来るんだけど、それと同じぐらい、病気と闘っているご本人や関係者の方にも読んでもらいたいと思っています。そしてもう一つ、この本に登場してくださる人たちも、それぞれが「読者」になると思ったんです。

平澤 どういうことですか?

大中 つまり、史哉くんは骨髄バンクの方やリハビリを担当した上路拓美先生、サッカーの師匠である片渕浩一郎さん(元アルビレックス新潟監督、現サガン鳥栖ヘッドコーチ)やあこがれの野澤洋輔さん(元アルビレックス新潟、現同営業部)がどう考えていたかは知らないわけじゃないですか。それを届けてあげたいという気持ちもありました。史哉くんの思いを、その皆さんに伝えたいということももちろんあります。

 中でも片渕さんは、史哉くんが復帰する過程でアルビレックス新潟の監督を解任された経緯がある以上、オフィシャルに発言することはなかなか難しいと思うんです。でも極端な話、その言葉を何らかの形で届けることができるのは、2人のことを取材して知っているオレしかいないんじゃないか、って思ったんです。そして、取材するとき現在の所属先であるサガン鳥栖に取り次いでくれたり、クラブも理解を示してくれました。だから、これは僕自身のアルビレックス新潟への感謝を示すことでもあるんです。

 そうやっていろいろな人に理解して協力してもらったから、こういう立体構造物というか、風通しのかなりいい形で、史哉くんがいかに頑張ってるのかということを読者の方に伝えられる本ができたのかなという実感はありますね。

平澤 今回の本には、早川選手も大中さんもともに新潟で暮らしていて、同じ街の空気を吸っているという物理的な距離の近さがあるからこその良さがあると感じています。もちろん、それが当たり前だから当人同士は感じないかもしれませんけど、連帯とか協調とかいうようなことをわざわざ謳わなくても伝わってくる密接な空気というか。

大中 これはまた4章の話になるんですけど、キャンプの場面場面のことを思い浮かべながらやり取りができたというか、それはやっぱりずっと取材している自分の一番の強みですよね。さまざまな出来事を頭に思い描きながら、史哉くんの文章を確認することができる。

平澤 映像としてあるものを文字に置き換えることができる、というわけですね。

大中 そうそう。

平澤 その「映像」という事実を介しているから、ジャーナリスティックな視点が大中さんはもちろん早川選手にも生まれてきて、単に早川選手の一人称で厳しい闘病生活とリハビリを振り返る、ということだけにとどまらず、早川選手も自己を客観視するというか、余計に重奏感、重厚感を覚えました。編集や構成をする上で、その点は意識しましたか。

大中 いろいろな人に協力してもらってその言葉を組み込んでいくところは、僕自身が「チームワーク」というものをすごく捕まえたかったのかな、と思います。

史哉くんのユーモア

大中 もちろん、本人が言うように史哉くんが闘病するにあたって一人で戦わなきゃいけない部分が確実にあって、「孤独な戦い」というのは本当に大きな要素を占めています。でも、それだけだとあまりにもつらすぎる。決してそうじゃない、というか、いろんな人が助けてくれるし、史哉くんもいろんな人に力と希望を与えているんだよ、という気持ちでした。

 要所要所で史哉くんも人との絆について触れているように、つながり、絆の大切さを訴えていますし、一人で抱え込まないことが大事なんだというメッセージも発信しています。最後の6章でもそういうことを表現していて、自分の力で乗り越える自力も必要だけど、他力で乗り越えられるなら全然ありです、みたいな、そういうポジティブなところが史哉くんの特徴というか、ある意味でユーモアなんです。本人の強さがあるからこそ、そのユーモアの部分も生き生きと出てくると思うんです。

 そういうものを捕まえるためにはやっぱり、史哉くんだけしか出てこない、一人芝居のような物語だとちょっと切り取れないかな、と。

平澤 確かに一人称ではその部分は出てこない。だからこそ、編集に携わった弊社の冨久田秀夫や本多誠も含めて、僕たちは複眼的要素を求めてきましたものね。

大中 いろいろな関係者の方で、できるだけバラエティーのある立場の人に登場してもらいたくて、今回はチームやクラブとは離れた人たちにも登場してもらっています。

 自分でまとめていて「いいな」と思うのもいやらしいんですけど(笑)、関係者の証言で、最初に登場する骨髄バンクの方は「早川選手」と呼んでいて、そこに公的なサポートをする存在として史哉くんに寄り添う温かみ、響きを感じました。次に出てくる上路先生は「史哉くん」で、ある種、お母さん的な目線で、お師匠さんである片渕さんと先輩である野澤さんは「史哉」。それぞれ呼び方が違っていて、立ち位置の違いも表れていて、それもまた面白いなあと。

平澤 早川選手、と呼ぶ人でも、史哉、と呼ぶ人でも、どの距離感であっても「チーム」なんだというわけですよね。

大中 そうですね。チームでありファミリー。もしサッカーに興味があまりない人が読んでくださっても、そういったところが伝わってほしいなと。一人じゃないよ、というね。

平澤 読んでくれた人にも、周りを見渡せば同じようにチーム、ファミリーはいるんだよ、というメッセージですよね。

大中 そうですね。そこをこの本で表現できていればうれしいと思います。

(第3回に続きます)

キャンプ地・高知のお店をたくさん知っているつもりが、今年、初めて入って、「なぜ、もっと早くに出会わなかったんだ⁉」と地団太を踏んだ中華そば屋さん。バッテラとともに絶品(大中)

1カ月に及ぶキャンプ取材。今年は新潟から自走したがゆえに、炊飯器をホテルに持ち込み、けっこう自炊しました。宿から徒歩3分のスーパーで買い求めた、高知産の無洗米こしひかり、なかなかおいしかったです(大中)

大中祐二(おおなか・ゆうじ)
 1969年、愛媛県生まれ。ライター。1994年、株式会社ベースボール・マガジン社に入社し、『相撲』、『ワールドサッカーマガジン』編集部を経て、2004年4月、『週刊サッカーマガジン』(現『サッカーマガジン』)編集部の配属に。J1に昇格したアルビレックス新潟の担当となり、新潟スタジアム(現デンカビッグスワンスタジアム)の4万人を越えるサポーターの熱気に驚がく。現地取材した2002年ワールドカップに引けを取らないエネルギーに大きく心を動かされる。2週間に一度、東京から新潟に赴いてホームゲームを取材することに飽き足らず、2009年、フリーランスとなって新潟に移住。平日の練習をつぶさに取材し、週末の試合を取材して記事にする生活をスタート。以来、12年間にわたってチームの魅力を伝えようと活動を続けてきた。