アルビレックス新潟に所属するDF早川史哉選手は白血病を患いながら治療に専念して、ピッチに戻ってきました。その物語を書籍として発行することになりました。共著者の大中祐二さんと編集協力の平澤大輔が語る、制作の裏側。

書籍「生きる、夢をかなえる 僕は白血病になったJリーガー」の詳細はこちら

※この連載は本書の内容に触れている箇所もありますので、その点をご了解の上、お読みください。

足裏マッサージと靴磨き

大中祐二 本を作ることがこんなにしんどいとは思わなかったですね。これまで長い文章を扱ってこなかったわけじゃないけど、勝手が全然違って。

 共著者でありつつ編集にも携わりましたから、物語として、大きな構造物として成り立たせる大変さというか。

平澤大輔 早川史哉選手と大中さんの著書をこのWEBサイトで紹介するにあたり、「長い長い編集後記」と題して対談形式にしたのは、ちょっと思うところがあって。この本を作るか作らないかというとっかかりのところで、僕が新潟に行ったときに大中さんとのんびり飲みながらいろんなことを話したじゃないですか。せっかくだから、その「始まりの空気感」を再現できたらな、と思ったんです。というわけで、よろしくお願いします。今回はお酒は抜きですけど。

大中 はい、よろしくお願いします。ウーロン茶で!

 フリーライターの大中祐二さんは、かつて『ワールドサッカーマガジン』『週刊サッカーマガジン』などで編集記者として活躍されました。その後、フリーライターとなりアルビレックス新潟を12年もの長きに渡って取材し続けています。

 今回の書籍では、早川史哉選手との共著者として、かつ、編集者として全体の構成を形作る役割も果たしてくれました。

 聞き手となる平澤大輔は『週刊サッカーマガジン』の元編集長で、ひょんなことから現在、アルビレックス新潟関連のコラムなどを書かせてもらっています。この本では大中さんと最初の一歩を踏み出し、編集協力という立場で携わりました。かつて同じ編集部でともに頑張ってきた者同士、この本にそれぞれの思いを込めて作ってきました。

平澤 まずは、この本を作ろうと思い立ったきっかけですよね、聞いておきたいのは。

大中 今回の本でいうと4章に当たるんですけど、競泳の池江璃花子選手が白血病になったと発表されたあの日、ですね。2019年の2月12日のことでした。アルビレックス新潟は高知キャンプ中で。

 僕はチームにずっと帯同していて、史哉くんのデビューから、そのひと月後に白血病と診断されて、闘病して、ピッチに戻ってきて、というのを見てきています。選手生命というよりも、人の命そのものがどうなるか分からない、というところを。

 最初はさすがに、選手として復活するのは本当に難しいだろうと感じていました。でも、史哉くんなりに一歩踏み出して、葛藤はありながらもキャンプで選手として戻ってくることができたところでした。

 そのキャンプで大きなアクシデントもなく、乗り越えつつある、という最後に来て、思いがけない池江選手のニュース。史哉くんが白血病になったことがある人間だという現実に、僕自身がぐーっと引き戻されてしまったんです。

 だから、あの一日というのは僕自身に本当に大きなインパクトになって、そのときの史哉くんの立ち居振る舞いだったり、考え方、自分からメッセージを発信する姿勢、そして何よりメッセージそのものに胸を打たれました。あの日のことはたくさんの人に知ってもらわなければいけないことだ、と思ったんです。

 正直な話、あの一日のことだけでドキュメンタリーを一冊書かなきゃいけないんじゃないか、そう思ったのが出発点ですかね。

平澤 後ろを振り返らず、前に進んでいるときに、池江選手のことを聞いて、引き戻されながらも自ら発信していった早川選手の行動への感銘、だったわけですね。

大中 これは編集者としての目線が生きたと思うんだけど、その4章ではシリアスさを浮き彫りにするために、キャンプの日々の生活のことを文字として残しておきたかったんです。だから史哉くんにそれをお願いした方がいいと思って。読んだ人はそんなに重要じゃないと思うかもしれないけど、足裏マッサージの話とか靴磨きの話とか、イチローさんに憧れを抱いていた話というのも大事だったのかなと思います。

意外な生命力の発露

大中 その4章のことでいうと、池江さんのニュースに関連して早川選手が自分のところにいろいろな連絡が来るのがつらかったし、嫌だった、と書いてあるんです。彼のその受け取り方がものすごくリアルで。

平澤 僕も意外でした。最初から順に校正しながら読んでいったのですが、あのときに早川選手のところに連絡がたくさん入って、それを肯定的に受け止める流れなんだな、という先入観を持ってしまっていたんです。

大中 それが、「ノー」って言うんですよ。逆説的になるかもしれないけれど、それが史哉くんの生命力というか、生きる力、力強さというか、僕もそういうところを感じました。ある種の異議申し立てをするところが。ネガティブな、マイナスなエネルギーではなくて、プラスの方向で、としてしまうのは誰でもできるかもしれないけれど。

平澤 でも、彼はそうやって繕うような表現や展開にはしなかった。その偽りのないリアルさにこそ、今回の書籍の価値があるんじゃないかと思うんですよ。

 そもそもこの本をどんなものにしようかと大中さんと話していて、早川選手の一人称の物語ではなくて、複眼的に事実を届けようという大中さんの思いがあったじゃないですか。それも、早川選手自身の本当の視線が書き込まれていたからこそ、いくつもの視点が生きてくるんだなあ、と改めて感じました。

 だから、早川選手の物語が早川選手だけの物語ではないのだ、という視座にこそ、この本の価値があるのだなと強く思います。大げさに言えば、早川選手を通して日本社会を書き写したジャーナリスティックなノンフィクションというか。

(第2回に続きます)

毎年1~2月、チームがキャンプを行う高知、春野総合運動公園の陸上競技場。この時期、晴れることがめったにない新潟と違って、天気の良い日が続く高知ですが、放射冷却現象もあって朝晩はグッと冷え込みます。晴れているのに、明け方、氷点下になることも(大中)

新潟に移住して12年目。高知キャンプ取材も12年連続。そのため高知は、僕が日本で最も飲み屋さんを知る街だといえます。写真は12年前から通い続ける路地裏のバーで、必ずオーダーするソルクバーノ(大中)

大中祐二(おおなか・ゆうじ)
 1969年、愛媛県生まれ。ライター。1994年、株式会社ベースボール・マガジン社に入社し、『相撲』、『ワールドサッカーマガジン』編集部を経て、2004年4月、『週刊サッカーマガジン』(現『サッカーマガジン』)編集部の配属に。J1に昇格したアルビレックス新潟の担当となり、新潟スタジアム(現デンカビッグスワンスタジアム)の4万人を越えるサポーターの熱気に驚がく。現地取材した2002年ワールドカップに引けを取らないエネルギーに大きく心を動かされる。2週間に一度、東京から新潟に赴いてホームゲームを取材することに飽き足らず、2009年、フリーランスとなって新潟に移住。平日の練習をつぶさに取材し、週末の試合を取材して記事にする生活をスタート。以来、12年間にわたってチームの魅力を伝えようと活動を続けてきた。