2012年、大宮アルディージャに移籍した高橋祥平はヴィッセル神戸、ジュビロ磐田を経て、8年ぶりに緑のユニフォームを着ることになった。東京ヴェルディ復帰の背景には羽生英之社長とかわした約束があった。

上写真=「ヴェルディはJ1にいるべきチーム」と語る高橋。昇格に全力を尽くす(写真◎BBM)

出て行ってくれと言った(羽生社長)

 異例だった。新体制発表会見に登壇した羽生英之社長が挨拶の中で「個人的なことを言ってはいけないかもしれないが」と断った上で高橋祥平との一つのエピソードを語った。

「一つ言わせてください。高橋祥平は今年、ジュビロから戻したんです。2010年に私が来たとき、このクラブの状況が悪い中でスタートせざるを得ませんでした。そして私が彼に『このクラブのために出ていってくれ』と頼みました。いつか必ず、このクラブに呼び戻すからと約束をして、外に出しました。
 30歳になる前に、一番パフォーマンスを発揮できる年に(高橋を)戻せるというのは、私にとってはうれしいことです。クラブがここまで少しは成長できたのかなという思いもあります。もちろんすべての選手に活躍してほしいですけども、祥平にはぜひ、このクラブを支える活躍をしてほしいと思います」

 2010年当時、クラブの経営面は危機的な状況にあった。それを立て直すために羽生社長は尽力したが、すぐに改善するものではない。時間をかけてクラブを立て直す中で、2012年に一人の生え抜き選手を放出する決断を下した。それが高橋祥平だった。

「正直、あのときは移籍するつもりはなかった。一生ヴェルディでプレーして、終わっていきたいと思っていたんです。でも、そういうふうにうまくいかないこともあるんだと、若いときに羽生社長に告げられて」

 クラブのために、と決断してから8年が過ぎた。期限付きという形だが、高橋は再び緑のユニフォームに袖を通すことになった。

「(獲得の)話があったとき、なんて言えばいいんだろう…うれしいんですけど、自分にプレッシャーがかかっているのも分かっているし。ヴェルディはJ1でプレーすべきチームだから、自分の覚悟が決まるまで、ちょっと迷ったのも事実です」

 それでも決めたのは、羽生社長の思いが分かっていたからだった。

「男気があるというか、筋の通った気持ちの良い社長ですから。僕は本当に、あの人が社長で良かったと思いますし、これからずっとやっていてほしいくらい。そんな気持ちもあります。そういう恩があるので、これ以上ないプレッシャーですけど、このタイミングでヴェルディをJ1上げないといけないと思っています。恩を返せなくなってしまうので。J1のトップに行って(社長に)恩を返したい気持ちがありますから」

 必ず戻すと言って送り出した選手を、本当に引き戻した。それがいかに難しいことだったのかを高橋は理解している。

「覚悟が決まってからは、ヴェルディのために、自分の持っているものを出していきたいと思うようになりました」

 外に出たからこそ得たものもあるだろう。この8年で自身がどんな成長を遂げたのか、聞いた。

「前よりは大人になったんだと思います(笑)。(ではチームの変化は?)今のヴェルディは全体的に大人しいっすね。相当、大人しくなったなと思います。(昔はやんちゃな人が多かった?)そうですね、いろいろ(笑)。うまい選手しかいなかったし、今が下手だと言っているわけではないですけど、雰囲気はよくなったんですけど、なんていうか、大人しめ。(厳しさが足りない?)そういうわけでもないんです。まあ自分がやれることはそんなにないと思いますが、まずは結果を出して、みんなの信頼を得てから色々と発言していきたいなと思います」

 J1昇格を目指す若いチームに、その経験をしっかり還元するつもりだ。取材中、旧知のスタッフから「お帰り」と声をかけられた。笑顔で握手をかわしたあとで、高橋は言った。

「みんな、お帰りと言ってくれるのはいいんですけど、それなりに自分にプッシャーがかかりますよね。そこにどう打ち勝っていくのか。もちろん自分次第ですけど、しっかり結果を出して、J1昇格のためにプレーする。正直、自分が出なかったとしても、チームが勝てばいいと思う。チームのためにやれることをやっていきたいと思っています」

 ただひたすらにヴェルディのJ1昇格へ力を尽くす。期限付きの身であり、「磐田への思いももちろんあります。長くプレーしていますし、思い出もたくさんある。今も変わらず好きなクラブ」と話すが、「来年はどうなるか分かりませんが、今はヴェルディにいますし、ここで全力でプレーします」と心は決まっている。

 8年ぶりの帰還。固めた覚悟は本物だ。

取材◎佐藤 景