柏レイソルは12月9日に国立競技場で開催される天皇杯決勝に臨む。大一番を前に、今年からコーチを務める大谷秀和が栄冠をつかんだ2012年度大会を振り返る。発売中の『バンディエラ ―柏レイソルの象徴のが過ごした日立台へのサッカー人生―』(鈴木潤・著/ベースボール・マガジン社・刊)からエピソードを抜粋し、紹介する(後編)。

偉大な存在から学んだ財産

 明神の言葉にもあったとおり、大谷は中堅からベテランという年齢に差しかかると、茨田陽生や手塚康平など、年下の選手とダブルボランチを組む機会が増えていった。そこでは、かつて明神が自分をサポートしてくれたように、若手選手が特徴を発揮しやすいプレーを心がけた。

「その選手によって特徴は違うし、その選手がいけると思ったときは迷わずにいった方がいい。例えば、バラ(茨田)は攻撃に出ていける良さがあるから、彼がいけると判断したときはいった方がいい。それをカバーするのは一緒にボランチを組む選手の役目。それが若い選手なら、なおさらその感覚を大切にしてあげたいし、やりたいと思うプレーをやらせてあげようと意識していました」

 自分自身を客観視する大谷は、ことあるごとに「自分は身体能力的には高くない選手」と話すことがある。22年10月31日に現役引退を発表したときも、彼は自身のSNSで「何か突出した能力があるわけでもない」という表現を自分自身に対して用いていた。

 技術的にも、身体的にも、能力の高い選手が集うプロの世界において、自分が生き残るためにはどうするべきか。思考を巡らせていた10代の頃、明神は自分の進むべき道を具体的に示してくれる存在だった。

「ボランチとしてどういうプレーをすればチームがより良く回るのか、どういうプレーをすれば味方選手が気持ち良くプレーできるのか、どこのスペースを消したら相手選手は嫌がるのか。そういうプレーや、考えることを止めずに90分戦う姿を見ていたので、ミョウさんは自分が目指すべき選手像を見せてくれたと思います。俺は身体能力が高い選手ではないので、考えることをやめたらそこで終わりだと思っていましたし、目指すべき選手像として、ミョウさんの隣で一緒にプレーできたことは財産になりました」

大谷はプロキャリア20年において、年齢や敵味方を問わず、多くの選手から様々なことを学び、それを自分の成長の糧にしてきた。その中でもアカデミー時代から憧れ、プロになってからコンビを組んだ明神から学び、得たものは極めて大きかった。

 大谷はその先輩を今でも「偉大な存在」と言い、尊敬の意を示している。