京都サンガF.C.は、クラブの名誉会長であり、京セラ株式会社創業者で名誉会長の稲盛和夫氏が8月24日に逝去されたことを受け、30日にチョウ・キジェ監督らの哀悼のコメントを発表した。31日にはJリーグの野々村芳和チェアマンも思い出と感謝を語った。

上写真=稲盛和夫氏は2010年10年には日本航空の会長を引き受け再生を主導(写真◎Getty Images)

「チャレンジしないことが失敗だ」

 京セラの創業者として日本経済の発展を支えてきた経営者の稲盛和夫氏が、8月24日、老衰のため、京都市伏見区の自宅で亡くなった。90歳だった。30日に京セラが発表した。稲盛氏は京都サンガF.C.(当時は、京都パープルサンガ)を1994年に設立するなど、地元のサッカー界の発展にも大きく寄与した。

 京都の関係者、Jリーグの野々村芳和チェアマンの哀悼のコメントは次の通り。

株式会社京都パープルサンガ 伊藤雅章代表取締役社長

「京都サンガF.C.の名誉会長であり、京セラ株式会社の創業者・名誉会長である稲盛 和夫氏が、8月24日(水)にご逝去されました。享年90歳でいらっしゃいました。

 稲盛名誉会長は、今から63年前に社員28名で京セラ株式会社の前身となる「京都セラミツク」を創業され、ここから現在、世界で約8万人の社員が在籍し、売上2兆円規模の企業グループへと一代で導かれ、経済・産業の発展に貢献されました。さらに、KDDI株式会社の設立や日本航空株式会社の再建なども手掛けられ、経済界で広くリーダーシップを発揮されました。

 その中で、地元・京都の発展のために、28年前に京都サンガF.C.(発足時のクラブ名:京都パープルサンガ)を設立いただき、新スタジアム構想も早くから提唱され、“サンガが日本を代表する素晴らしいクラブに成長・発展するために”と、並々ならぬ愛情を注いでこられました。その数々のご功績は、まさに挑戦の歴史であり、稲盛名誉会長からはそのことの重要性を教えていただきました。

 昨年、チョウ監督の下、12年ぶりにJ1昇格ができたことを報告した際には、大変喜んでいただいたことが思い出されます。稲盛名誉会長には、いつまでもお元気で、心穏やかに過ごされ、私たちを温かく見守っていただきたいと考えておりましたが、そのような思いも叶わず、このような悲報に接することとなりました。

 稲盛名誉会長のご冥福をお祈りするとともに、これまでご指導いただき、今日のサンガの礎を築いていただけたことに心から感謝申し上げます。そして、私たちが一層の努力とさらなる挑戦をし続けることで、素晴らしいクラブへと成長していきたいと思います」

京都サンガF.C. チョウ・キジェ監督

「この度、我々京都サンガF.C.の設立に多大なご尽力をいただいた稲盛和夫名誉会長がご逝去されたこと、心よりお悔やみ申し上げます。

 昨年、私が生まれたこの京都で監督という仕事をスタートするにあたり、「チャレンジして失敗することが失敗ではなく、チャレンジしないことが失敗だ」という言葉を大事に、日々取り組んできました。

 現在、J1という荒波にもまれながら、日々チャレンジする選手たちとともに、成長しようとするチームでありたいと思い続けることが大切だと感じています。自ら「自燃」し、観に来てくださった方々に感動を与えるFootballをやり続け、もっと強く、たくましいチームになって、稲盛さんに喜んでいただけるよう、これからも努力していきたいと思います」

京都サンガF.C. 宮吉拓実選手

「稲盛名誉会長の突然の訃報に接し、言葉を失っています。

 長年の京都サンガF.C.へのご尽力のおかげで、今の京都サンガF.C.があり、プロサッカー選手としての私がいます。

 時にはスタジアムでお会いし、その時々にいただいた言葉は今でも心に残っています。今までの多大なるご尽力に感謝の気持ちを忘れず、京都サンガF.C.に関わる全ての方々のために頑張っていきます」

公益社団法人 日本プロサッカーリーグ 野々村芳和チェアマン

「稲盛さんは、京都サンガF.C.(当時、京都パープルサンガ)の設立に多大なご尽力をいただきました。私自身クラブの社長時代に、何度かスタジアムで稲盛さんにお会いさせていただいたことを今でも覚えております。経済界の発展に貢献し数々のご功績を残された稲盛さんが、サッカーを愛し、クラブに情熱を注いでくださったことに、心からの感謝と敬意を表します。

 どうか安らかにお休みください。謹んでお悔やみ申し上げます」