FC東京のマーケティング本部を取り仕切っているのが、川崎渉本部長。首都のクラブをデジタルマーケティングの知見を活かして盛り上げている。2回連載の前編では、川崎本部長が考えるデジタルマーケティングの意義に迫る。

上写真=2019年には平均3万人以上の集客に成功。マーケティングの効果も大きい(写真◎F.C. TOKYO)

顧客の属性・行動に沿ったコミュニケーションを

「ゴールは、ありません」

 FC東京マーケティング本部、川崎渉本部長。クラブのマーケティング部門全般を担い、中でも最近よく聞く「デジタルマーケティング」を推進する第一人者だ。一口にデジタルマーケティングと言っても多岐にわたるが、2018年2月から現職に就いた川崎本部長が掲げるマーケティングには、ゴールはないのだという。

 それはもちろん、可能性が無限だから。

「ゴールはありませんが、マーケティングにおいてデジタルを活用する目的は2つあります。1つはリアルでは届かない方々とコミュニケーションをするため。そして、それをお客様の属性や行動を踏まえてより満足してもらえるコミュニケーションをしていくことです」

 川崎本部長は他のJリーグクラブにも在籍していたことがあるが、東京ではよりデジタルマーケティングの重要性が増す実感があるという。

「例えばの話ですが、同じ規模のプロモーション予算があっても、媒体費用が高額な東京では実施できる施策が限られます。デジタルの分野をうまく活用することで、限られた予算の中でも東京というマーケットのポテンシャルを活かすことができると考えています」

 ただ、サッカーと同じで、デジタルマーケティングといってもやはり「基本」が必要だ。FC東京に来て最初に手を付けたのは、その基本の部分。

「データを活用するためのインフラを整備するところから始めました。2018年まではスタジアムに誰がいつ、何回来場したのか、ECサイトで誰がどんなものをいつどのくらいの数を購入したのかなど、一般のお客様の行動データが把握できていませんでした。そのデータを蓄積し始めたのが2018年の途中からです。もちろん、データを蓄積するだけでは意味がありませんから、どう活用していくのかをあわせて考えています。当初はメールマガジンを都度送ることしかできませんでしたが、2020年からはMA(マーケティングオートメーション)を導入して、予め設定したルールに合致した行動をしたお客様に自動的にメールが配信される取り組みを推進しています」」

 MAは、行動履歴に基づいてそれぞれに適した情報を、ID登録者にメールで送り届ける取り組みだ。具体例としては、ECサイトでカートに商品を入れたのに決済しないままにしている顧客には購入を打診してみたり、しばらくECサイトを利用していない顧客には、新商品が追加されたことをお知らせしたり、公式ホームページでアカデミーページを閲覧した方に育成支援のクラブサポートメンバーをおすすめしたり…。

「これまでは蓄積したデータの中から自分たちで必要な情報を探して、該当する方を抽出してメールを送る、という作業が都度必要でした。MAを活用すると、ルールを設定することにより自動で抽出してメールを送ることができています。一度ルールを設定してしまえば、自動でコミュニケーションが取れるので作業負荷が減り、これまでよりも多岐にわたるコミュニケーションができるようになりました。本来は2020年からチケットのプロモーションにも活用していく想定でしたが、コロナの影響で試合日程が見通せなくなり、グッズのプロモーションを中心に活用してきました」

 もちろん効果はあって、コロナ禍で入場料収入が伸び悩むなかで、物販収入は過去最高を達成する見込み。そのうち約10%程度がMAによって購入につながったようだ。

冷たい数字の羅列ではなく

 ただ、前述のように、これは「基本」。

「デジタルマーケティングについて聞かれて取り組んでいる内容を答えるのは、実は少し恥ずかしいというか気後れするところがあります。というのも、これはマーケティングにおいては本当にベーシックなことで、特別に先進的なことに取り組んでいるわけではないからです。先ほどのMAについても、先進的な内容ができているというわけではなくて、例えばECサービスを展開している企業などがすでに行っているものを取り入れているに過ぎません。いまはまだ基礎段階ですから、普遍的に効果が高いと思われるルールを優先していって、それを積み上げているところです」

 これもサッカーと同じだが、基礎をしっかり組んで終わりではなく、そこから継続していくことが大切になってくる。

「クラブのファン・サポーターになってもらうためには1年だけの行動を追っても限界があります。FC東京との距離が近くなっているか、より多くの行動をしてもらえているか、複数年かけて見ていくと、より立体的に見えてきます。それを踏まえて分析できるようにしなければいけません」

 デジタルを活用する2つの目的がサッカーでいうプレーモデルだとすれば、それをしっかり共有し、行動していくことが必要で、データを積み上げることによって透明度が増していけば、その確度は高まる。人が人を理解するのに情報が必要なのと同じように、FC東京というクラブが、ともに歩んでくれるファン・サポーターを理解して、あるいは逆に理解してもらうためには、継続が必要なのだ。

「ファン・サポーターになってくれる人の道筋というのかな、それはとても幅があります。きっかけもそうだし、のめり込んでいくスピードにも多様性がある。本当に一人ひとり違います。だから、デジタルというものを活用して、その多様性に対応できるようにしていきたい」

 逆に言えば、デジタルを活用すれば、一人ひとりに寄り添うコミュニケーションが可能になる、ということだ。「スポーツビジネスでは、他の業界と比較してデジタルの特性を活かせているかと言えば、まだ遅れている」と川崎本部長は感じているから、その知見を活用すれば伸びしろが、つまり、もっともっと深く寄り添い合える余地はふんだんにあるということになる。

 川崎本部長とFC東京が求めているのは、その「深い結びつき」なのだろう。データは冷たい数字の羅列ではなく、温かさを生み出す熱源なのだ。

(後編はこちら

【Profile】
川崎 渉 かわさき・わたる
東京フットボールクラブ株式会社 マーケティング本部本部長 兼 経営戦略室室長

写真◎F.C. TOKYO

 経営コンサルティング会社のA.T.カーニー株式会社で経営戦略やマーケティングのプロジェクトに従事、その後DeNA、複数のJリーグクラブを経て18年2月にFC東京へ。マーケティング本部長としてプロモーション部、CRM部、MD部を統括している。