上写真=早坂良太と同じ35歳。石川直樹も今季限りの現役引退を発表した(写真◎北海道コンサドーレ札幌)
自分が伝えるべきことは伝えきった
現役サッカー選手としてのラストランも、そしてこれからも、その姿勢は変わらないだろう。引退を発表後、メディアの取材に応じた石川は、まっすぐな言葉で、まっすぐに歩いてきたキャリアを振り返り、自身の将来についても語った。
「引退については、ここ1、2年、自分の中で辞め時を探していたんですけども、サッカー選手として自分が大一番、大事にしていたのは練習を100パーセントでやることでした。それを試合で表現するというのが、石川直樹としてプロの在り方でもありました。ただ、ここ数年、ケガが増えてきてそれができなくてなってきた。それでもミシャ(ペトロヴィッチ)さんは、自分をリスペクトしてくれてましたし、自分をチームに必要だと求めてくれていたので、自分の理想の部分と現実の部分のギャップを受け入れながらやっては来たんですけども、それを続けていく中で限界を感じました。ミシャ監督も就任3年目になって、さらに要求も増えてきましたし、それを自分がやりたいけどやれていないという部分もあったので、そこで自分は決断しました。
このチームは若いチームですけど、そこに対して、自分が伝えるべきことは伝えきったなという満足感もあったので、引退を決断しました」
伝えきったという言葉が、石川直樹という選手のコンサドーレのおける重要性を示す。ひたむき、真摯にサッカーに向き合う姿勢が、チームメイト、とくに若い選手たちに与えた影響は大きい。
「最初からある程度、年の初めから自分の中には(引退が)どこかにあったといまは感じます。実際に妻に話したのは9月くらい。僕がほぼ10月まではリハビリでしたが、その姿勢を見て、妻も『今年を先後にしようとしているのかな』と思っていたと言っていたので。ひょっとしたら無意識に、自分が伝えられることは伝えきろうとしていたのかもしれません。それはリハビリ中でも、試合に出ていたとしていたとしても同じように」
柏レイソルの下部組織から2004年にトップに昇格し、09年に当時の石崎信弘監督に誘われる形で札幌に期限付きで移籍。11年から2年間をアルビレックス新潟で、13年から4年半をベガルタ仙台で過ごし、17年夏に再び札幌に加わった。守備的なポジションならどこでもこなすマルチな選手としてチームを支えしてきた名バイプレーヤー。今季はケガの影響もあって、リーグ戦では2試合に出場したのみだったが、17年のキャリアを終える決断を下した。そのキャリアで培ったもののうち、現役選手として後輩に伝えられることを「伝えきった」と感じてのことだ。
「やり切って、大満足なサッカー人生だったと。それに尽きる。それぞれ所属するクラブで、もちろんたくさん苦労もしましたし、うれしいこともありましたし、いろんなドラマがあったんですけど、まだ振り返るのは早いので。17年間、柏レイソルユースからとトップに昇格してプロのサッカー界でやらせていただきましたけども、年々、年を取るたびに、自分のサポートしてくれる人の存在に、大切な人たちがいることを気づけたので、それは本当にっ良かったなと思います。若いときは自分さえ良ければいいというスタンスでしたし、試合に負けたとしても自分さえ良いプレーしていればいいと思うときもありましたし。それから、年を重ねて、最後に試合に出られなくてもチームのためにって本気で思えて辞められるのは、このサッカー界が僕を成長させてくれたと思います」
石川直樹じゃなければいけない何かを作る
自分本位だった選手は、キャリアを重ねてチームファーストで考えられる選手へと成長した。だからこそ石川は35歳までプレーできたのだろう。リハビリ中も、考えるのはチームのことだった。
「10年前に(コンサドーレに)所属していたときはまだエレベータークラブと呼ばれる状態でしたし、頑張ってJ1へ上がっても1年で落ちてしまう。なかなか苦しい状況でした。ただ、選手の意志とか気持ちの部分は今と変わらなった。J2でしたし、全国のメディアに取り上げられることは少なかったかもしれませんが、当時も良い選手はたくさんいました。その一人が(宮澤)裕樹だと思います。彼はコンサドーレ一筋で、長くJ2を経験しながら、今J1でこれだけのプレーができるというのは、北海道だけではなく、他のJ2のクラブだったり、J3のクラブの選手たちに勇気を与えていると思います。彼の存在が北海道コンサドーレ札幌だと思います。
今と10年前のチームとは規模も違いますし、比べることは難しいですが、気持ちは同じだたと思いますし、当時から伸びしろがありましたが、今は、本当に見てて伸びしろしかないクラブだと思います。こんなに面白いクラブってあるんだと。反面、厳しくしなければいけない部分もあるとは感じてしますけど、ミシャ監督とのもとでもっともっと突き抜けてほしいと思います」
エレベータークラブだった時代を知る者として、今のチームはずいぶんとたくましくなったと感じるという。宮澤はもちろん、荒野拓馬や福森晃斗らチームの主軸をしっかりと担う選手もいる。心配なく、スパイクを脱ぐことができる。
「やりたいことは決まっていて、それがあるからここでサッカー選手に区切りをつけたという部分もあります。具体的なことは、3試合残っているので終わってからかなと思っていますが。ざっくり言うと、僕は高校を卒業してサッカー界でしか、狭い世界でした生きてこなかったので、ちょっと外の世界を見てみたいし、勉強したいという思いはあります。ただ、コンサドーレというチームは大好きですし、しっかりとコンサドーレに還元できるような形をつくっていければ。自分自身、今まではサッカー選手という衣にだいぶ守られてきていると思うので、それがなくなったときに、ただ一人の石川直樹になったときに何が残るのか。何が必要なのか。サッカー界に還元していくと考えたときに、石川直樹じゃなければいけない何かを作らなければいけないと思うので。そういうことは三上GM、野々村社長に相談しています」
セカンドキャリアについても、ビジョンがある。どんな道に進むにしても、サッカー界に還元することを考えていきたいという。12月19日の試合を最後にスパイクを脱ぐことになるが、その後も現役時代と変わらず、サッカー界のために、まっすぐ力強く進んでくれるに違いないーー。