上写真=約10カ月ぶりに等々力のピッチに帰ってきた中村憲剛(写真◎J.LEAGUE)
■2020年8月29日 J1リーグ第13節(@等々力:観衆4,798人)
川崎F 5-0 清水
得点:(川)旗手怜央2、レアンドロ・ダミアン、中村憲剛、三笘薫
「いろいろ積み重ねて、この日を迎えられた」
まさに等々力に愛された男だ。この試合でひと際大きな拍手に迎えられてピッチに立ってから10分も経たずして、自身を見守り続けてきた人々の心を震わせた。
すでに3点をリードしていた85分、GKからボールを受けてつなごうとする清水DFのミスを中村憲剛は見逃さなかった。パスコースを消そうと動いていたところに転がり込んできたチャンスに、「考えてないっす。その瞬間のイメージというか、その発想が出てきたので。今までやってきたことの積み重ねかなと思います」。ダイレクトで叩くと、ボールはGKの頭上を超える鮮やかな弾道でゴールに吸い込まれた。
昨年11月2日、この日と同じ等々力陸上競技場でのことだった。試合中に左ヒザを負傷し、66分でピッチを退いた。20日後には手術を行ない、左ヒザ前十字靭帯損傷と外側半月板損傷で全治7カ月と診断された。
約10カ月ぶりに帰ってきた等々力のピッチ。試合前の練習では、ボール回しでもこれまでに感じたことがないような疲労を感じた。「たぶん、緊張していたと思うんです」。思えば朝から「この10カ月が早送りのように頭の中をめぐっていった一日」だった。
リハビリ期間は、「周りの方が悲壮感を漂わせていた。『ちょっと明るすぎる』と言われていました」と笑うが、つらい時期もあったという。新型コロナウイルスの感染拡大防止のための自粛期間中、クラブハウスにも行くことができず、孤独感が募った。自身も社会もサッカーも、「先が見えない時期が重なって、一番しんどかった」。
それでも乗り越えてこられたのは、周囲の助けがあったから。医療スタッフや仲間、そして家族。「いろいろ積み重ねて、この日を迎えられた」。心の底から吐き出すように、言葉を紡いだ。
この日も、仲間たちが得点を重ね、交代出場しやすい状況をつくってくれたと感じている。そして、スタジアム。スタンドから声援を送ることはできないが、「等々力の温かさは、すごく大きなものだった」。舞台はしっかり整っていた。
「本当に等々力に神様はいたなと思います。等々力じゃなかったらこうならなかったのではないかなと、正直思っています」
サービス精神旺盛な背番号14は、「質問はすべて受け付けます」と会見をスタートさせたが、時間には限りがある。「あと2時間くらい話したいところなんですけど、また後日」と締めくくった。
相思相愛のスタジアムで、中村憲剛の物語はまだまだ続く。
現地取材◎杉山 孝 写真◎J.LEAGUE