1993年にスタートしたJリーグでは、様々な特徴を持つストライカーがゴールを奪い、得点王に輝いてきた。Jリーグ得点王の活躍を振り返る連載の第8回は、98年に続く2度目の得点王となった中山雅史を取り上げる。

上写真=磐田はリーグ連覇を逃したが、中山は2ndステージに得点を重ねて20得点を記録した(写真◎J.LEAGUE)

Jリーグ通算100得点を達成

 1999年に清水エスパルスとのチャンピオンシップを制し、2度目のJリーグ制覇を成し遂げたジュビロ磐田は、2度の優勝に導いた桑原隆監督が退任し、マケドニア国籍のハジェヴスキー新監督を迎えて2000年シーズンに臨んだ。指揮官は99年にチーム最多の10得点を挙げたMF福西崇史を、3バックの中央に置くリベロで起用。布陣を4-4-2から3-4-1-2に変更するなど、大胆な改革に乗り出した。

 だが、チームは1stステージ途中までは上位につけたものの、第11節からの3連敗で失速する。その中でFW中山雅史も得点が伸び悩み、全15試合中14試合に出場して4得点にとどまり、チームも5位に終わった。

 2ndステージも第3節までに2敗を喫して出遅れたが、中山はその3試合で3得点を挙げ、本来の調子を取り戻しつつあった。チームは第4節からの4連勝で巻き返し、中山は第5節から3試合連続の計5得点。第6節、アウェーでのヴィッセル神戸戦ではJリーグ(J1リーグ)通算100得点を記録した。