1993年にスタートしたJリーグでは、様々な特徴を持つストライカーがゴールを奪い、得点王に輝いてきた。Jリーグ得点王の活躍を振り返る連載の第3回は、日本人初の得点王に輝いた福田正博を取り上げる。

上写真=躍進を遂げた浦和を引っ張った福田。チーム戦術の中で武器のスピードを生かし、得点を量産した(写真◎J.LEAGUE)

堅守速攻で持ち味を発揮

 開幕から2年間、計4回のステージ中3回が最下位で(残る1回も最下位の1つ上)、下位が指定席だった浦和レッズが、1995年に大躍進を遂げた。ホルガー・オジェック新監督が就任したこの年、サントリーシリーズ(1stステージ)序盤は1勝5敗。過去2年同様の低迷を予感させたものの、以降は勝ち点を伸ばしていく(この年Jリーグは初めて勝ち点制を導入。それまでは勝利数で順位を決めていた)。
 
 94年ニコスシリーズ(2ndステージ)から加入したDFブッフバルトを中心とした堅守から、同時に加入したMFバインが起点となる速攻が冴えた。ここで持ち味を遺憾なく発揮したのが、FW福田正博。バインのパスから快足を生かした突破とフィニッシュで得点を重ね、同じくスピードが武器のFW岡野雅行との2トップで躍動した。

 1ステージ26試合、年間52試合という長丁場だったことも手伝って、浦和は序盤の出遅れを取り戻す。結局、サントリーシリーズは過去最高の14チーム中3位。福田はチーム最多の15得点を挙げ、浮上の立役者となった。

 だが得点王争いでは、はるかに上を行くライバルがいた。ジュビロ磐田のFWスキラッチだ。90年イタリア・ワールドカップ得点王の実力は本物で、来日2年目でJリーグにも慣れ、サントリーシリーズ終了時点で早くも24得点を挙げていた。